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田舎あれこれとケースとしての田舎の生活2(本と書店と)

前回、田舎について書いてみて、私が田舎について書くとそれは汎用性のある田舎ではなく、個人的な田舎というものになってしまい、かつ、田舎で過ごす日々をなんとか保っていくにはどうすればいいかの考察にもなっていった。もちろんケースとしての長野県は、何かが特別なものではなく、日本の田舎のどこにでもある「〇〇が無い」ことくらいしか出てこない場所である。〇〇は都会にだけあるものが入る。いわば、ミニシアターであり、雰囲気のいい喫茶店であり、古着屋であり、ゲームセンター(の薄暗い雰囲気)であり、いつでもやっている立ち食い蕎麦屋であり、品ぞろえのいい書店である。

書店。これこそが田舎と都会を分ける最大のポイントではなかろうか。別に田舎の人間は教養が無いと言いたいわけではない。教養なんてものはやり方次第であるし、田舎だろうとどこに住んでいようとビルトするのは可能である。よい教育は必要だが。そうではなくて、書店なるものがリアルで成り立つためには最低限の人口が必要だと言いたいだけである。

それは現在の新刊書店が未だに取次を経由する配本システムの上に成り立っていることからなる。書店の取り分はパーセンテージでいくつだろうか?なんにせよ冊数を売らないと経営は成り立たない。人間はどこに住む人間であろうと本だけを買っていては生きていけない。食い物を食わないといけない。食い物の予算が特別にエンゲル係数という名前がついているくらいのものである。本はそういう意味では贅沢品である。そしてお客の各々がそれぞれ本を買うとして、経営が成り立つラインはそのまちの人口に依存している。

ちなみに今日(5月3日)、私は昨日からの書店めぐりの4件目でやっと探していた新刊のマンガを入手した(noteでもおなじみ『父娘ぐらし 55歳独身マンガ家が8歳の娘の父親になる話』である)。角川だしそんなにマイナーでもないと思うが、品揃えという意味では田舎で探すのはなかなか難しいのである。

4月末には私は礼文島を旅していた。なかなかいい島で、控めに言って最高である。私は8時間コースというトレイルを歩いてご機嫌だった。帰りに民宿の主人が車でフェリーターミナルまで送ってくれた。主人はコドモの話と魚釣りの話をしてくれた。礼文島には私の知るかぎり書店は無い。コンビニはセイコーマートが1つある。この島で育つコドモは、ネット通販で本を買うことはあっても、書店なるもので棚を見るという経験をするためには、稚内までフェリーでいかないといけない。学校の図書室には本はあるだろうと思うが。それでも本を欲しい、本を探す、どの本が面白いかのカンを鍛える、そういう経験をするためにはリアル書店にいくしかないのである。そしてそれは限られた場所にしかないのである。


私の育った田舎は、幸いにも「地方都市」レベルだったので、リアル書店(当時はリアル書店しかなかった)に行って立ち読みさんざんして店主に嫌がられる経験もしているし、当時はネットもないのでどの本が何巻まで出ているかも知らないし、学校図書室にいって本を漁り、地域の公立図書館にいって本を漁り、金があればなあと思いながら限定された蔵書を舐めるように読んでいた。当時の愛読書はコロコロコミックであり、あるいは学習図鑑(フルカラー)であり、全国時刻表であり、ひみつシリーズであり、姉の買う明星であり、叔母がくれた『吉里吉里人』であり、タッチの南ちゃんが唐突に達也にキスした少年サンデーであり、ハードロックブームにのるキッスのメイクをしたきんどーちゃんの少年チャンピオンだった。順不同で思い出すとこのようなラインナップである。

思えば私は読書好きなコドモだったようだ。

だから親の転勤でアメリカの田舎に行ったときには困った。そのまちには書店というものがないのである。アメリカの田舎はレベルが違う。書店にいきたければ、車でインターステートを2時間走っていく州都にあるショッピングモールというものにいくしかないのである。当時は1980年代の前半。アメリカにはショッピングモールというものがあるんだというのは、知識にもなく、はじめてそれを見たときには正直その巨大さに大変驚いた。コドモだった故にアメリカの文化や設備や都市生活などの予備知識がまるでなかったのである。そのモールにあった書店では、英語が読めなくてもわかるビルボード誌を買い、週間チャートアクションに心を躍らせていた。英語がわからなくても書店は面白い。その表紙を見ただけでも想像力は働かせられる。学校でも英語は分からないので、昼休みは図書室にいって新聞を読んだ。英字の新聞でも連載マンガがあるのである。ガーフィールドとかピーナッツとかが掲載されていた。それを読んでなんとか英語を覚えようという腹である。まちにあるスーパーのレジ近くには雑誌のコーナーがあり、安っぽい紙のペラペラのティーン向け雑誌が流行のポップソングの歌詞を載せていたので、それを読んでラジオから流れる曲をいっしょに唄った。またカセットでラジオを録音した。あとはたまに日本から送られてくる雑誌類が頼りである。ここで私は週刊文春を読むという習慣を身に着けた。当時は「萬流コピー塾」の時代である。ものすごく面白かった。あとは週刊現代を読み、村上龍『愛と幻想のファシズム』を読み、いったいこれは何だという衝撃を感じながら読んでいた。あとは遅れて到着する新聞があったので、加賀乙彦『湿原』を新聞小説として楽しみに読んだ。獄中の描写に慄いていた。

そのように日本語に飢えていたので、帰国したときには東京に着いて書店が普通にあったことに大変安堵し、また、狂喜した。住まいは杉並区の荻窪と西荻窪の間である。荻窪にいけば八重洲ブックセンターがあり、西荻にいけば西荻ブックセンターと信愛書店があった。信愛は1985年当時からアングラ感を私に感じさせた。


きりがない。


その後、同じまちに23年住むことになるとは思ってもみなかったのである。それでも杉並区に23年住むということはすっかり都会の住人である。どこを向いても家である。書店にことかくことはない。古書店だってよりどりみどりだ。おまけにその後、流れ流れて古書店員アルバイトという職になりそのまま5年半過ごすという経験もした。その古書店が神田神保町なのでいよいよ本にまみれる生活ともいえる。


そこから突然長野県に住むという展開となり、どうしたか。その長野県のまちはそんなにド田舎ではなかった。書店は幸いにも車で1時間以内の範囲に数軒あり、探すことに困ることはそうそうなかった。もう2008年になっていたので、記憶は曖昧だがおそらく通販も適度に使っていただろう。本の情報はネットで入手するようになり、渇望という状況にはなかった。


しかしそれも、それまでの本との付き合いがあってのことである。


2021年までは定職があったので、本を買うのにそんなに我慢はしていない。しかしそこで失職してハローワークに通うようになった。すると貯金の残高が大変重要になった。家計簿をつけるようになった。そして、本は好きには買えなくなった。無職期間で、批評を書きたくなり、いろいろ資料をさがすものの、資金を節約しなくてはいけない。そこでやっと私は限りなく有効に図書館を利用する術を身につけた(これも『独学大全』で学んだことである)。県立図書館と、2つの市の図書館(実家の市といまいる市)を最大限につかって、雑誌の過去分や、批評の資料など、そして教育についての本(『違国日記』は、すごく「学ぶ」ことについての示唆が大きいマンガなのである、このことはいつかまた書くつもり)など、借りまくって利用しまくった。レファレンスコーナーの使いこなしも開始した。ヴィゴツキーについて調べたのはレファレンスあっての御陰である。


こうした図書館、そして書店、それらの利用、楽しみ、そして調べたいことを調べる、知りたいことを知る、勉強のためではなく仕事のためでもなく、それをしたいからそれをするということ、知識への欲求があったときに、もっとも身近な形でそれを提供してくれるのが書店だったし、今でもそれは書店だと思う。人間の考えてきたことや知ったことや経験やフィクションその他創作、ありとあらゆるものはネットの中ではなく書物の中にある。ネットにあるものは日々生成しているまた別のものである。ネットにおけるパーマネントURLの取り扱いはまだまだ途上である。レファレンスとしての保存と取り扱い、つまりアーカイヴとしての機能でいまのところ書物にかなうものはない。それに触れる機会は学校図書室と図書館と書店、この3つにある。基本としては。そしてそのうち学校図書室だけは義務教育で日本の隅々までその機会が保障されているはずだが、他の2つは田舎という地域によっては存在しないケースもあるのである。私は独身でコドモをもたない身であるので、デジタルネイティブといわれる世代が育っている中で、いったいぜんたいリアルの書物に対してコドモの皆さんはどのようにふれているのか、知らないのだが、知りたいと思っている。

たしかに電子書籍を読むということは、ネット環境さえあれば(いまやどんな田舎でもタブレット等の機器に触れないコドモはいない)全国どこでも同じように書籍を読むことを可能にするだろう。無料のものもあるだろうし、青空文庫を読むかもしれない。しかし多くの本が一堂に揃った「棚」というものを見て、背表紙を触り、自分の好きな本はどれだろうと読む前からの嗅覚を研ぎ澄ます感覚というのは「棚」の前でしか磨かれないのではないか。それこそが本を好きになる初手だと思うのだ。願わくばどんな田舎であっても学校図書室だけは充実した品ぞろえたらんことを。学校司書の給料をケチらないことを。(4008字)

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