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21世紀の教育格差「可能性の認識差」とは?

2019年5月10日の以下のツイートに多くの方から反響を頂きました。
21世紀の教育格差「可能性の認識差」についてです。

地方でよく頂く質問

ライフイズテックは全国の自治体さんと連携して、その地域の中高生向けの出張ITキャンプや、大学生や社会人の方がメンターになるための研修を、すでに40の自治体で開催してきました。全国にITキャンプを届けられること、そして、地域での新たな学びづくりに想いある方々と、各地でお仕事ご一緒できることは、この仕事の大きな喜びです。

さて、そんな地方での出張ITキャンプで、地元の保護者の方によく頂く質問があります。

「東京とうちの地域の中高生は何が違いますか?」


という質問です。

可能性の認識差とは何か

この質問は「東京の子はすごいんでしょう?」という前提からの質問だと思うのですが、現時点でプログラミングスキル、ましてやポテンシャルの地域差はほぼありません。でも一点差があるとすればそれは

「可能性の認識差」。


東京ではアプリを作ったりリリースしてる同年代がいることを中高生が身近に知ってる。でも地方の子は知らない。アプリを学べることも、ましてや、自分で作ってリリースするなんて思いもしないわけです。
つまり、身近に入ってくる情報の違いで「中高生はこれくらいできる」という「可能性の認識」に差が出てるわけです。

これは地方の大学生や短大生も同じ。スキルやポテンシャルには大差ないのに、東京に出た連中とは可能性の認識差がたった一年で生まれてしまっています。それは個人のせいでなく可能性を広げられる機会や環境の差です。

ライフイズテックが地方で中高生向けキャンプや大学生向け研修をやる価値は「プログラミング教育格差の解消」という言葉では表しきれません。
本当の価値は「一人ひとりの可能性格差の解消」。だから説明会の話一つでも眼の前の学生さんの人生が変わる可能性はあるし、研修でも可能性を広げる話をどれくらい入れ込めるかめちゃ考えます。

インターネットがあれば可能性の認識差は解消されるのか?

GoogleやYahoo!があれば大丈夫じゃないかという声もありますが、そもそも何を検索するかという時点で、可能性の認識差が影響しています。

ライフイズテックのキャンプに来た子はみんな「中高生の自分もiPhoneアプリを作れる」と思っています。だから、検索窓に「iPhoneアプリ/開発方法」と入力することができる。
でも、その可能性に気づいてなければ、私が高校生だった頃と同じく、「iPhoneアプリのゲーム名/攻略法」というような検索しかしません。
つまり「検索窓に入れるキーワードで人生が変わる時代」になっているわけです。

このあたり、経済学者のアマルティア・センは「Individual differences in the ability to transform resources into valuable activities(資源を価値ある活動に変換する能力に、個人で違いがある)」と指摘しています。

つまり、インターネットという情報インフラが整ったとしても、そうした資源をどんな活動に変換できるかは、個人の可能性の認識によって大きく異なるということ。インターネットが全国に整備されても、可能性の認識格差は残ります。

可能性の認識差を変えられるのは教育だ。

地方でもしばしば、最先端の情報を持っていて、スキルレベルもめちゃ高い子と出会うことがあります。話を聞くと最初は家族や学校の先生から情報を教えてもらって、その後は自分でネットで調べて、自分でぐいぐい成長してるんですよね。
ネットのインフラがあっても、それを有効活用するきっかけは「身近な大人」が作ってることが多いのです。

これ逆に言うと、昔と比べて家庭・先生・学校などによる格差が大きくなる可能性があるということ。自分の人生で身近にいる大人が自分の人生の可能性を広めもするし、狭めもする。特に、ネットがあるから広がる時の広がり方が過去の時代とは大違い。

今でも覚えてるのは、離島の20人くらいしか生徒がいない小さな学校から2人も泊まり込みで九大のキャンプに参加してくれた中学生がいて。
「どこで知ったの?」と聞いたら、「学校に貼ってあったポスター見てたら、先生が『君こういうの好きやろ。割引チラシも入ってたからあげるよ』って勧めてくれた。本当に来てよかった」と。

先生の存在は今もとても大きいのです。学校外の選択肢を示すことも含め、先生の仕事は子どもたちの人生を変える仕事だと痛感しました。
(弊社の学校チームの立場としては、全国の学校に電話をかけて、ポスターやチラシ送らせてもらう仕事を地道にやってて良かった・・・人生変える可能性のある仕事なんだと確信できた機会でした)

先生不要論みたいな言説もありますが、それはこれまで先生が担ってきた機能の一部がEdTech(動画教材とかAIドリルとか)に代替されるというだけの話で、先生の役割は質を変え、むしろ重要性が高まっていると思うのです。

令和時代には地方と東京との「可能性の認識差」はますます広がる恐れがあります。しかし、それを是正できるのが「教育」であり「近くの大人」なのです。大人が教育の中で、子どもたちの可能性に低い天井をつけることだけはやってはいけません。可能性を引き出すには、青天井で行こう!

【後日談】NewsPicksで記事化されました!

一連のツイートの反響が大きかったことを受け、後日NewsPicks で記事化されました!当日、ツイートに反応してくださった皆さんのおかげです。改めて感謝申し上げますm(_ _)m
内容大きく増強してますので、会員の方はぜひ読んでみてください。


終わり!

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