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とある下町の思い出



野暮用で、昔住んでいた街を訪れた。苦しい記憶が多いせいで、離れて間もない頃は近くを車で通るだけでも目の前が暗くなるような心地だったけれど、もうなんてことはない。過去がきちんと過去になったのだろう。
良い個人書店が新しくできていた。駅から少し離れた、路地裏の長屋の一角にある。選書が研ぎ澄まされていて、紹介ポップには熱がこもり、先端的な同人誌やzineも並ぶ。かと思うと、近所の子どもたちに向けてか、ちょっとした駄菓子も置いている。
気になっていた『鬱の本』があったので手に取って開くと、杉作J太郎による文章のページだった。これがすごく格好いい。とても買いたかったが、手持ちが少なく、他の本を優先して断念。また金が入ったら買いに行こう。
優先したのは『プロジェクト・ファザーフッド アメリカで最も凶悪な街で「父」になること』の一冊。少し立ち読みして、刑務所に収監されている知人に送ろうと思った。
店内にはヒップホップ関連書の並ぶ棚もあった。知人はヒップホップが好きなので、そこから選ぼうかと最初は思ったのだが、結局は黒人差別に関する棚から選ぶことになったわけだ。帯文はジブラだし、まあ面白く読んでくれることを願う。
店を出て駅まで歩く道中、ヤマザキショップの前を通りがかった。他所行きのヤマザキではなく、ローカルに根付いた、野良っぽいヤマザキだった。店内から老いた男が一人出てきて、煙草に火をつけた。というか、もう店内で火をつけながら出てきた。店主だろうか。じゃなかったら問題である。うっすらと夕闇の迫る街角で、煙草の火がぽうっと灯った。
それを見て、ああ、こんな土地だったな、という感じが体じゅうに湧き上がった。都会の外れの下町である。かつて感じていた街の気配のようなものが、一瞬にして蘇った。

下町、という雰囲気の土地で暮らすのは初めてだった。街並みは古いけれど、活気があって、若い人も多い。新しいけれど活気のない郊外で長く暮らしてきた自分には新鮮だった。
ボロボロの中華屋から今時の若い男女が出てきたかと思うと、表まで見送る年老いた店主と常連ふうに話をしてから、スケボーに乗って帰っていくなんて風景がある。煙草も吸える昔ながらの喫茶店では、小声で漫才の練習をしている若者を時々見かけたりした。
引越してすぐのこと、買った家具を背負って歩いていたら、一軒家の庭先でバーベキューをしている人たちに、大変そうやねえ、と声をかけられた。どこ越してきたん、と聞かれて、一軒家の前に建つアパートを指し、ここです、と答えると、お向かいさんや、と親しげに言った。
こんな街が本当にあるんだなあ、なんてことを、住んでいる間よく思った。

ヤマザキの前を伸びる道路を直進し、高架のある大通りを越えれば、遊郭がある。そこであった昔話を、聞かせてもらったことがある。
たしか、入居したその当日だったと思う。昼から開いている商店街の立ち飲み屋にふらりと入った。これから暮らす街の情報を教えてもらおう、というのは言い訳で、一杯やりたかっただけだろう。
店の主人の女性とその娘、常連だというおっちゃんたちがいた。今日越してきたと言うと、どの辺や、と細かく聞かれて面食らったものだ。それから、安いスーパーを教えてもらったり、こんなとこよりええ店あるぞ、とおっちゃんが笑ってスナックを勧めてくれたりした。みな地元の人のようで、昔はああだった、こうだった、と話は巡り、やがて一人の老人が、遊郭での古い思い出を話し始めた。
彼が中学生だった頃(中学生だった頃があるのかと思わせられる老人だったが)、ある日の学校からの帰り道、夕立に降られた。まだ家までは距離があるし、雨脚も強くて、たまらず近くの軒先に入った。それが廓だった。
玄関土間で客引きの婆さんが椅子に腰掛けていて、制服姿の少年をじろじろと眺める。どういう場所かも確かめずに慌てて駆け込んだものだから気まずく思っていると、ちょうどその時、2階から若い女性が降りてきた。子どもがこんなとこで何してるの、と聞かれて、雨宿りで、と答えると、中に入れてくれた。彼は緊張で体を硬くしながら、玄関先の赤い絨毯に、女と並んで座った。降りしきる雨を眺めた。
やがて雨があがった。
彼は礼を言って玄関を出た。別れ際、大きなったら遊びにきてね、と女が笑いかけた。
少年は顔を熱くして、小走りで帰った。

懐かしい駅前をぶらぶらと歩いた。変わっている場所、変わっていない場所、どちらも目につく。
あの本屋は、この街に存在する意味がある、と思った。
正直に言って、商売に合った土地だとは思えない。ある種の小さな書店みたいなものをやるなら、適した場所は他にいくらでもある。そもそもこの街には他に本屋が一軒もない。住んでいた頃は苦労したものだ。その結果ミニシアターで映画ばかり見たから、それはそれで良かったけれども。
(大雑把に言って)同系統の書店は、大阪にもあって、それらのうちいくつかは、やっぱり近接するエリアに集中している。そこが、適した場所なのだろう。現代は風景が均質化したと言ったって、商売をする上で無視し難い街のカラーというのは、やっぱりある。「その土地に固有の風景」と言えば嘘くさく響くが、「客層」と言えばその存在を疑う者のほうが少ないだろう。
しかし、客層に合った土地で商売をするというのも馬鹿らしいことだ、と無職のくせに、いや無職だから、イチャモンめいたことを思ったりする。それを求めている者に、それを与えるなんてのは……。
土地の隠れた表情を発掘しうる、そのことこそが、あの店を魅力的に見せたのだった。
また訪れようと思う。ようやくこの街も、思い出に胸を掻きむしられることなく歩けるようになったのだし。
差し当たっては、近く店内で開催されるという、パレスチナの写真展を見に行きたい。



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