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映画が見ていられない



新幹線が名古屋駅に停車する。
俺の乗る列車が停止するその隣を、別の列車がすれ違っていく。
その時、どういう現象なのか、読んでいた本のページの上に、日の光が差しては影になる。どこからどのように、差し込み、遮られるのかわからない、明滅。
洲之内徹の『帰りたい風景』を読んでいた。飄々たる画商・洲之内の私小説的美術エッセイ。
陽光の明滅が通り過ぎたページには、松田正平という画家の《祝島風景》なる作品がある。
明るんでは陰るその絵を、美しいと思った。
どんな絵からも、その奥底に秘められた深い時の流れを汲み出す洲之内の穏やかな文章と、過ぎ去った光の現象とが、作品を清潔に洗っていた。

本を読んでいたのは、映画が見ていられなかったからだ。
前日から新幹線で見ようと決めていた、アマゾンプライムで配信されている作品があった。乗車するなり見始めて、最初はその映像の美しさに見惚れた。外がよく晴れていたのも良かった。映画に少し疲れたら、窓の向こうを流れる景色をぼんやり眺める。幸福な時間だった。
しかし、時が重なり、事件が起こり、美しい映像がにわかに物語めいていくにしたがって、俺は段々と辛くなっていった。ストーリーにつられて、色んなことを思い出してしまうのだ。
別に身につまされるような映画なのではない。舞台も、事件も、俺の身の上とは何の重なりもない。
けれど、物語のちょっとした緊張や苦痛に、いちいち自分の過去の苦痛を見出してしまう。
耐えきれなくなって、映画を見るのをやめた。
実はこれは初めてのことじゃない。長いこと、まともに映画を結末まで見られていない。
そんなわけで、俺はスマホを置き、『帰りたい風景』を開いたのだった。

松田正平について書かれたエッセイの題は「自転車について」。
画家がいつも描いている島を訪れ、画家と同じように自転車で散策したことを書いている。
洲之内の文章はきまってあちこちに脱線していくが、このエッセイも例に漏れず、最後は映画の話になっている。
若い頃に見て感動したと言う『自転車泥棒』のこと。
今はもう見たくない、ああいうものにはもう耐えられないだろう、と洲之内は書く。「私も年をとった。」というつぶやきで、エッセイは結ばれる。
ちょうど映画を見れなくてこの文章に行き合ったものだから、俺は妙な親しみを覚えたが、しかしこの末文は意外だった。俺は、俺が映画を見れなくなってしまったことを、幼さだと思ってきたからだ。
最近の若者はストレスのない物語を求める、といった時評を読んだことがある。
近頃は言われなくなったこの手の評だが、一時期は似たことが言われるのをよく聞いたし、物語を生きる支えにしてきた者たちがそういった社会の趨勢に眉を顰め、緊張や苦痛そしてそれらとの葛藤こそ物語の醍醐味なのだと説く光景も目にした。
それは尤もなことだ。
しかし、俺はストレスのない物語(それはもはや物語とは呼べないのかもしれない何か)を偏愛する自分を、どうしようもないとも思う。
ただただ安らぎの光景を見たい。退屈な静けさを。
そんな俺だから、実家に帰って、一日中テレビドラマを見ている母を目の当たりにするたび驚いてしまう。
俺はテレビドラマを全く見ない。予告だけ見ても、登場人物がしょっちゅう怒鳴っているからだ。
一日中怒鳴り声を聞いている母は、友人の愚痴の長電話に苦もなく付き合えたりもする人で、これも苦痛への寛容さだろう。
虚構の苦痛さえ一秒と見たくない俺には信じ難い。
母の寛容さを、老成と俺は思っている。
痛みを引き受けられるというのは、痛みが落ち着くところに落ち着くと、身に染みて知っているからではないか。
対して俺は、目の前の痛みに一喜一憂する幼稚さから、ついに映画さえ見られなくなっているわけだ。

洲之内の、映画から目を背ける心も私のそれと同じかはわからないが、痛みに付き合いきれないのは果たして老いか、幼さか。
あるいは、老いと幼さは等しくて、その間にだけ別の境がある、ということなのだろうか。
思えば、老人と幼子は、記憶の欠如において重なっている。

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