崇高な場所
やっと乾燥機を買った。虫が怖くてベランダに洗濯物を干せず、コインランドリーに通っていたので、これでQOL爆上がり間違いなし。届くまでしばらくかかるが、脱コインランドリー生活が楽しみで仕方ない。
先日、たぶんこれが最後になるなと思いながら、コインランドリーに行った。人の少ない時間を狙って平日の昼下がり。無職の特権だ。
行く前にポストを覗く。手紙が一通届いていた。送り主を見て、読むのに神経をすり減らす手紙だと思い、道中コンビニに寄ってコーヒーを買う。タバコとコーヒーでリラックスしながら読もうと計画。
コインランドリーに到着。ゴミ袋に詰めた洗濯物を放り込む。待ち時間は一時間ほど。
いつもは飯でも食いに出るのだが、先日見た映画でコインランドリーで読書をしてるシーンがあり、なるほど洗濯を待つ時間というのは読書に充てるのにちょうど良さそうだなと気付き、文庫本を一冊携えていった。しかしコインランドリーで本を読むなんて、思ってもみなかった。発想が貧しい。
コインランドリーを使う生活は三度目。
数年前、当時の恋人と同棲していた時期が初めてだった。
洗濯機が外置きの、狭いワンルームで暮らしていた。外置きは故障しやすいという後に知った一般常識に違わず、中古で買った洗濯機はすぐにうんともすんとも言わなくなり、夜な夜な彼女が眠りにつくのを見守り、原付で近所のコインランドリーに通った。
ワンルームで二人暮らしという無理に加え、俺も恋人も生活能力に乏しかったから家の中は万事めちゃくちゃで、いつも荒んだ気分でいた。コインランドリーで洗濯が終わるのを待つ間、向かいにあるコンビニで買った酒を飲んだ。
腹の大きな若い女と、よく一緒になった。彼女も酒を飲んでいた。妊娠中なのに酒を我慢できないのか、単に肥っているのか。俺には前者に思えた。日増しに腹が大きくなっているように見えた。
いつだったか、バーで隣に座った男と意気投合して泥酔するまで飲み交わし、コインランドリーで初体験を済ませたという話を聞かせてもらった。ど田舎で、少年少女が逢引する場というとそこしかなかったらしい。静まり返った、光だけが煌々と灯る清潔な空間で身を重ね、山間をのびる道路に車のライトが瞬くたび二人で息をのんだ……そんな美しい話だった。彼の思い出を聞きながら俺は、どうしようもない生活の夜に横目で盗み見たあの大きな腹を、ぼんやり思い返していた。
コインランドリーの椅子に座り、持ってきた本を開いたが、どうしてもポケットの中の封筒が気にかかった。集中できない。
回り始めた洗濯機を少し眺めてから、手紙を先に片付けてしまおうと諦めて本を閉じた。
外に出て、タバコの吸える場所を探す。
少し歩くと、コインランドリーと同じ敷地内にある大きなスーパーの裏に、ベンチと灰皿を見つけた。
すぐに腰掛ける。手紙を取り出す。コインランドリーから出たばかりの体が、鋭い寒さに少し震えた。
スーパー裏の喫煙所で、おじさんと店員の女の子が仲睦まじく一服するという、愚にもつかない漫画をツイッターで読んだのを思い出す。
かたや俺は一人きりで、檻の中から届いた手紙を開く。
随分違うものだなと思うが、そもそも漫画の主人公は立派な労働者たるサラリーマンで、俺はというと無職なわけだから、前提からして違う。自嘲しつつ、タバコに火を点けた。
手紙を読み終えて、ため息をついた。
コーヒーを啜る。深呼吸を繰り返す。
手紙から目を背けるように、辺りを見回した。喫煙スペースの、無駄と思えるほどの広さ。田舎らしいな、とか思って気を紛らわせる。少し首をひねると、こちらもまた無駄なほど広い駐車場と、その向こうに鉄塔が見える。空を遮る高層の建物は何もない。
田舎の風景が好きだ。なにもかもが広大で、太陽はよく見えて、其処此処に途方もなさを感じる。高速道路や、山並の稜線、広い空……そういう風景が放つ、人の手の届かない崇高さに救われる。
都会だって好きだ。鏡のような窓に、きらりと日の光を映して聳え立つ超高層ビルなんかも崇高だ。
必死こいてタワマンに住みたがる人たちの気持ちがよく分かる。タワマンは価格に見合う価値がないという言説を度々目にするが、ああいう建築物で生活を営みたいという欲求は、合理性では測れないんじゃないか。
都会も田舎も好きで、下町は苦手。崇高さはどこにも見当たらなくて、ことごとく人間臭い。そういう場所にいると、すぐに息が詰まってしまう。
無駄に広い喫煙スペースで、俺はため息まじりに煙を吐き出した。煙が空に消えるのを、手紙の返信を考えながら眺めた。
煙草つながりで、もう一つ忘れがたい風景。コインランドリーからの帰り道、恐らく学校指定の地味なウインドブレーカーを羽織った、野暮ったい制服姿の女の子を見た。彼女は、細い煙草を加えて小石を蹴りながら、畦道を歩くのだった。紺の制服の襟や黒い三つ編みの髪が夕日に照り輝いていた。心から、美しいと思った。
崇高は常にむなしい。俺の生も死も、うんと軽くなる。生きようが死のうが同じことだ、と思う。
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