見出し画像

夜食


夜も深まる都会の外れで、ラーメンを食べた。酒をやめたから、そういうの、久しぶりだった。
コの字型の長いカウンターに、ポツポツと男たちが座っていて、ほとんどが一人客で、二人連れも酔い疲れたのか黙り込んでいる。みんなビールをちびちびと飲んだりしている。

つけ麺が目当てで街を彷徨い、その店に辿り着いた。
どうしてもつけ麺が食べたい気分になって、深夜までやっているつけ麺屋をネットで検索して何軒か回ったのだが、平日だからかどこも早仕舞いしてしまっていたのである。
ある店は、入り口に営業中の看板は出ているのに客席の明かりが落ちていた。もう終わりましたか、と表から声をかけたら、厨房に一人でいた店主らしきおじさんがこちらを振り返り、無愛想に頷いた。
時刻は2時。ホームページには、営業時間は3時までとある。
閉店時間が違うじゃないかと抗議したい気持ちが半ば、また来る時のために知っておきたいのが半ばで、何時までやってるんですか、と聞く。少し間があって、1時までです、と店主が悪びれもせず答えた。
つけ麺への欲求が満たされない苛立ちと、気ままな仕事ぶりへの好感と、どちらも抱いた。

結局、諦めてラーメンにしたわけだが、これがマイルドにしつつも神座ほどヘルシーでもないちょうどいい塩梅の天理風ラーメンで、なかなか美味しかった。
他の客の飲み姿に誘われつつぐっと我慢し、さっさとラーメンだけ食べて店を出た。店先に灰皿があったので一服。
長袖のカットソーと古びたコーチジャケットでは、もう薄らと寒い夜気が心地良かった。
目の前に延びるひっそりした車道を先まで見やる。焼鳥屋、牛丼屋、とまだ明かりの点いている店がぽつぽつある。
飲み疲れてぐったりしていたり、ハードな職場なのか夜に働いているのか、仕事を終えて一息ついていたりする客たち。
彼らをもてなし、朝の仄明るい街をこれから出勤する群衆とすれ違って、帰路につく人たち。
彼らの姿の幻が、脳裏を過ぎる。それぞれの生活が猥雑に交錯して、やっぱり都会もいいな、と思う。酒をやめて街から足が遠のいてしまっているのが味気ない。

帰り道、猫を見かけた。



深夜、ガストに行った。夕方ごろにウトウトしていたら寝てしまっていて、目を覚ましたら深夜だった。我ながらなんともいい加減な生活を送っている。

時間感覚を漂白するような煌々とした照明の下で、ロボットが届けてくれたコーンスープを啜る。なんだかこれは侘しすぎるな、と心が冷たく洗われた。

コーンスープって、滅多に食べないけど、なんだか好きだ。滅多に食べないのに好きというのは、生理的にでなくイメージとして好きってことであって、子どもの頃にはなによりも「外国っぽい」食べ物に見えたのだった。
ここではないどこかへのあどけない憧れが、そのシンプルでまろやかな、いかにも子ども好きのする味わいに、つまっている。
コーンスープのほかにサーロインステーキとフランスパンも注文。まがりなりに「食事」としての体裁を整えようとしているだけ、かえって寒々しさが極まるのはどういうわけだろう。
この後はコンビニに寄ってなにか甘いものを飲みたいなあと思いながら、手早く肉を切り分け、パンをスープに浸し、食事を済ませた。


ガストを出て、しんとした駐車場から車を走らせる。
コンビニでは、オレンジジュースと少し迷ってから、ジョージアのカフェオレを買った。アイスのほうが好きだけど、さすがにもうホット。
支払いを済ませた後、ごちそうさまですと言っちゃって、ごちそうさまですちゃうわ、ありがとうございます、と言い直した。別に言い直すほどのことでもなかったか、と店を出てから思った。飯を食った後コンビニに寄ると、時々やってしまう。

買うたびに思うけど、カフェオレをロング缶はちょっと多い。細長いから実際の量がどれだけ違うのかわからないけど、同じ値段ならということで一番好きな白ボスよりジョージアをいつも選んでしまう。貧乏性。
コンビニから家に着くまでには飲みきれず、折角だしそのまま適当にドライブ。外で出たゴミは、外で捨てて帰りたい。これも貧乏性か。


都会の方向へ走る。川を渡る橋を越えれば、ちょっとした繁華街。狭い間隔で並び立つ道路照明が、橙色の光をがらんとした車道に落としている。

散々飲んできた様子の男がふらふらと道路を横切った。危ないなあと思って止まる。歩道から見送る連れ合いの集団と笑い合っている。
クラクションを鳴らそうとしたその時、また明日、と彼らは言って、敬礼を交わした。
どれだけ酔ったらそんな陽気になれるんだと笑ってしまい、苛立ちが消えた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?