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窓の向こうは死後の国みたい




ついこの前、近所にタバコを吸える純喫茶を見つけた。チェーン店ばかりの郊外だと純喫茶自体が貴重で、とてもありがたい。今日は行ってみたら定休日だった。水曜定休、覚えておこう。
でもコーヒーは飲みたいし、どうしたものかなあと自転車で彷徨いてたら、ちょっと行ったところに池、というか貯水池を擁した大きな市民体育館を見つけた。どこかにベンチでもあるだろうと思い、コンビニでコーヒーを買ってから、敷地内を歩く。案の定ベンチ発見。しかも水辺で気持ちがいい。

のんびりしていると、どこかから笛の音色が聞こえてきた。能管のようにも思えるが、知識がないので正しいことは知らない。風に紛れてどこから流れてくるのかもわからない。なんにもわからないで、ただその音だけを聞いていた。

幽玄な笛の音と、冷たい風と、揺れる草、流れる水音。
コーヒーとタバコで、少し頭がぼんやりしてくる。
足を前に投げ出して、やや首は垂れて、ベンチにじっとする。
手に持っているコーヒーも落としてしまいそうなくらいに体から力が抜けている。そうしているうちに、ふと、自分は死んでいるような気がする。風に吹かれて、朽ちていく体であるような気がする。

この町をいつか離れた時、この場所のことを思い出すんだろうな、と思った。今まで暮らした町のそれぞれに憶えている場所がある。しかしそういえば、実家にはそういう記憶が薄い。独りでいないと、何も見ず、何も感じないのかもしれない。少なくとも俺は。
旅も独りでするのが好きだ。誰かと行くと、何も憶えてない。どこに行っても、どこかへ行ったという気がしない。
そういえば、なにかを愛したり諦めたりする瞬間は、いつも独りだったように思う。独りになって、そしてきまって、誰かを想うのだ。

コーヒーの量は多すぎた。Mサイズは大きい。Sサイズで良い。ローソンのコーヒー。
ぬるくなった最後の一滴を飲み尽くしてベンチを立ち、敷地の中を散歩する。体育館施設に入る。広いエントラスに職員らしき人がちらほらいて作業してる以外は、誰もいない。ひっそりしている。
二階建ての立派な施設。扉の閉まっている武道場や講堂を過ぎると、体育館がある。こちらは扉が開いている。真っ暗で、静まり返っている。
近づいて中を覗くと、小学校高学年ぐらいの女の子が二人歩いている。短いパンツから伸びるほっそりした脚の、その白さが暗闇のうちで目に留まる。なぜか、見てはいけないものを見た気がした。目を逸らし、引き返した。

施設の隣には屋外プールがあった。おそらく子供用の、水のない浅いプールに、鳩たちが遊んでいる。その灰色の羽と、枯れた水色のコンクリートに、夕日が照り輝いていた。

笛の音の主は見なかった。あれはどこから聞こえていたんだろう。


帰宅。部屋に入ると、窓が明るい橙色になっている。
窓の前に立って、外を見下ろす。車や人が、音もなく滑らかに流れていく。その透明な移ろいを見る。死後の国みたいだ。俺もみんなも、物も草木も、まるで死んでるみたいだ。
窓は四角い。窓の向こうにある、いくつもの建物の窓も四角い。
この世には四角くない窓があることも知っているけれど、それでもやっぱり窓は四角いものだ、と思う。
写真も四角いな、という思いつきが頭を過る。
窓は四角く、写真は四角く、そしてニエプスの撮った世界で初めての写真は、窓からの風景だった。
そういえば、本だって四角い。鉤括弧って、窓枠みたいだ。
窓の向こうで、信号待ちをしている人がいる。
どこかに美しい人が立っているのではない。美しい距離があるだけなのだと思う。



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