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学生街の喫茶店


酒を控えるようになってから、喫茶店に行く機会が増えた。コンビニに行っても珈琲を必ず買うし、珈琲を飲むならと煙草も頻繁に吸うようになってしまって、酒を控え始めた当初に抱いた「これで金が浮くのでは」という思いは裏切られつつある。
でも、日常から酔っている時間がなくなるというのは、なんとなく気持ちいい。
酔うと必ず、自分でない自分になる。そのおかげで踏み出せる一歩もあるが、翌朝自分に戻った時の後悔も大きい。
酩酊時とシラフ時というのは空と地上みたいなもので、要は重力が違うのであり、あんまりしょっちゅう行き来してると体に強い負荷がかかる。それに疲れて酒がちょっと嫌になったのだ。
毎日を、他の誰でもないこの自分だけで生きるのは、退屈だけど平穏だ。なんでもない醒めた時間が前にも後ろにもある。
スピッツをよく聞くようになった。
珈琲と煙草とスピッツ、酒を手放した俺の手に舞い込んできたものたち。

実家から少し行ったところに小さな大学がある。その周辺はちょっとした学生街みたいになっていて、昼飯を食べに時々うろつく。美味しいラーメン屋が多い。さすが学生街。
ちょっとカシコの子たちが通う大学なので、街でそこの生徒らしき若者を見るとヘッと思ってしまったりもする。よりにもよってカップルらしき男女なんて見ると危うく唾を吐きそうにさえなるが、彼らのおかげで飯が安く美味い街が成立していると思えば、拝むぐらいでちょうど良いよなという気持ちにもなる。
先日はそこで鶏と貝から出汁を取ったパイタン系ラーメンを食し(美味かった)、食後の一服のため大学前にある喫茶店に入った。
人間、不思議なもので、珈琲にも煙草にもさして関心がなかった今まではその喫茶店が視界に全く入っていなかったのに、今では喫煙可の喫茶店に対して高感度の探知機能が搭載されているのかというほど素早く目に留まった。

土曜の昼下がりの中途半端な時間。客はなかった。
初老の夫婦が切り盛りしている、小さなお店。
カウンターの頭上の壁面に掛けてある、3枚の植物の素描が、煙草の煙で褐色によごれているけれど素晴らしく美しい。
ピンク色のエプロンをした、とても愛らしいママさんにブレンドコーヒーを注文した。
ほどよい苦味の一杯。値段がかなり安いので、下品にガブガブ飲みながら本を読む。
マスターが、気遣ってくれたのか、点けていたテレビを消して音楽を薄く流してくれた。
テレビでは、モニタリングと高校野球をザッピングしていたから、無類のブラマヨ好きであり、青春が眩しく見える年齢になり始めてもいる俺としては「どっちも普通に見たかったな」という感じだったのだが、もちろんそんなことわざわざ言わない。無言で心配りに感謝するのみである。
窓から陽の差すソファ席で、ちょこんと腰掛けて新聞を読んでいたママさんがうたた寝をしはじめた。
少しして目を覚ますと、寒いねえとマスターに囁く。マスターがクーラーを弱めてあげる。
俺の肌が、汗ばみはじめる。
これももちろんわざわざ言わない。
およそ初老に見える夫婦の仲睦まじさを、少しばかりの涼気よりも尊ぶばかりである。
素敵な夫婦だなあ、としみじみ和んだ。
俺もいつかこんな店をやってみたいなあなんて思ったが、数分間考えてみても俺の店でママ役をやってくれる女性なんて思い浮かばず、せっかく和んだ心が曇りそうになったので慌てて本に意識を戻した。

やがて客が一人来た。
俺の背後の席に座ったので姿は見ていないが、馴染みの学生らしく、入ってきた彼を一目見てマスターが「おおさっぱりしたなあ、就活やる気になったんか」と笑う。
ホットケーキとメロンソーダを注文していた。かわいい男の子だな、と微笑みそうになったのを、煙草を咥えて誤魔化した。
大学前にあるのだから当たり前だが、客は学生が多いのだろう。ママさんが、青年の同級生らしき若者たちの近況なんかを話し込んでいた。
数日前には珍しい客があった、という話もあった。大学の卒業生だという35歳の夫婦が、とても可愛らしい幼い娘を連れて来店したらしい。学生時代の話に出てくる名前が、みんな軽音部周りの子たちだった、と言う。どうやら軽音部所属らしい青年が、さすがにそこまで先輩になるとわからんすねえ、と答える。そうやんねえ、とママは笑って、いまは千里のほうに住んではるんやて、と親しげに言うので青年は相槌を打ち、あの辺は子育てしやすいって聞きますもんね、なんて大人びたことを言う。
なんてことのない会話の、なんとも言えない美しさに俺は聞き惚れながら、二杯目の珈琲をマスターに頼んだ。

フジロックとかサマソニなんて言葉が会話に飛び交うので、マスターもママも学生相手に商売をしてるから感性が若いなとひそかに感心した。
青年が、誰それがあのフェスに行ってキングヌーを生で見たらしい、なんて話すのを、二人は羨んでいるのである。
俺は、なるほどだから、と店内に流れる音楽が最近のヒット曲ばかりであることに頷いた。
その選曲は、ヒット曲ばかりで、正直やや節操なく感じるほどである。有線を流していたのかもしれない。
しかし思えば、我々若輩者がいま「純喫茶」と有り難がるような、例えば60年代に若者がたむろしたジャズ喫茶なんかも、もしかすると当時は案外こんな場所だったのではないか。
若者が日常的に集まり、安くで珈琲を飲み、流行りの音楽を聞く、なんでもない場所。
かつてのなんでもなさが時を経て「こだわり」のように映るだけではないか。
ホットケーキとメロンソーダを注文する青年のなんでもなさもまた、いつか眩しいこだわりになるだろうか。

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