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たばこの銘柄。酒場のひと。




わりと閑散としている最寄駅前に、なぜかかなり品揃えの良いタバコ屋がある。俺が常喫しているのはアークロイヤルのパラダイスティーなのだが、コンビニなんかでは見かけることがないので有難い。
今日はなんとなくPUEBLOという銘柄も一箱買ってみた。名前をどこかで聞いたことがあったし、パッケージも気に入って。タバコ屋の面によくある、タバコの箱の写真がずらりと並んでいるあの商品一覧表みたいなやつで見つけて注文したら、店のおっちゃんは「そんなのあったかなあ……」とちょっと探して持ってきてくれた。よっぽど売れないのだろう。それでも置き続けている姿勢に敬意を抱く。
これがなかなか美味い。喫煙歴が短いので俺にはあんまり複雑な味わいは感じ取れないけれど、アメスピに似ている。昔、友人がアメスピの黒をマッチで点けて喫っているのを見た時は、あまりに格好良くて惚れ惚れした。ウイスキーが好きなのもあり、少しの間真似していた。
古道具屋でいつか買った、何の変哲もない漆の茶碗を灰皿にしている。自炊をしないし、灰皿も持っていないからとりあえずで使い始めたが、蓋があるので灰の散乱やにおいを防げて丁度良い。ただ、吸いさしを置いておくことができないのには困っている。
器の類になんの興味もない友人を連れて古道具屋へ行ったことがある。店を出てから感想を聞いたら、なんであんなもんがあんな値段すんねん、とお決まりの答えの後に、「でも灰皿は欲しいな。ひとの家の灰皿ってなんか覚えてるし」と言われた時も、洒落たことを言うなと感心した。家のものに無頓着なのに、灰皿だけは拘ったものを選んでいる男というのがいたら、これはなかなか良い。

パラダイスティーを吸っている女性は綺麗な人が多い、という偏見がある。
サンプルは少ないが、なぜかその全てが酒場のひとなのはどういうわけだろう(俺が酒場以外であんまりひとと会わないせいも、多分にあるとは思うけれど……)。
私も同じなんです、とか、前はそれ吸ってたんです、とか。懐かしいから一本ちょうだいと言ったのは、ある新宿の店の主で、酒の飲み方も飲ませ方もさらりとした、「酒場のひと」かくあれかしという感じの女性だった。爪の先まで美意識の表現になっているような。
やや客を選ぶ人で、俺は選ばれなかったので、二、三度しか訪れなかったのだが、良い店に拒まれるのは悪い気がしないものだ、というか己の未熟さを恥じるのみだ。拒絶と沈黙を美しくこなせるのが「酒場のひと」の資質だと思う。相槌を打っているだけで、客の話を美しくしてしまうような、そんな話の聞き方って、あるものだ。
東京にいる間は、ほとんど新宿以外で飲まなかった。住んでいた場所から行きやすかったのもあるけれど、引越した直後に訪れたゴールデン街の店で中上健次の話をしていたら、じっと聞いていた隣席のお兄さんからおもむろに「ぼくは中上健次に買ってもらった乳母車に乗って育ったんです」と言われ、新宿ってこんなに新宿なのかと興奮し、それ以来、色んな街で遊んでみようという気が起きなくなってしまった。
少し前に、ミナミのバーである漫画の話をしていたら、その作者が偶然やってきたことがあった。それこそ漫画みたいな展開だなと思ったが、漫画の登場人物みたいなコミュニケーション能力は俺にはないので、ちょっと挨拶をしただけで終わった。
その店のひとも、かつて漫画家のアシスタントをしていたらしく、それを聞いて彼の携わった作品を読み返してみたら、街の風景を描いた背景のなかにミナミの飲み屋の看板をいくつか見つけた。おもしろい遊びをするなあと思いながら読んでいたら、自分の店の看板もちゃっかり紛れ込ませていた。とても小さく描いていて、その小ささが粋だった。


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