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日本文学史 #15 戦後の状況

前回は工業化、軍国化される日本の中で書かれた文学について説明した。今回は日本語終戦を迎えてその後に描かれた文学について説明する。前回の記事は下記のリンクから。

戦争体験について

文学においての戦争体験というのは多くの場合戦場体験であった。その戦争体験を生涯にわたって文学的な仕事の基礎としてその意味で徹底した一貫性を示したのは大岡昇平(一九〇九〜八八)である。三〇年代から太平洋戦争にかけてスタンダール関係の文化を翻訳していた大岡は三十五歳で召集されフェリピンへ送られそこで上陸したアメリカ軍の俘虜となりレイテ島の収容所で日本の降伏を迎えた後『俘虜記』を書いた。大岡は『俘虜記』から出発してその中にも出てくる人間の肉を食う話を小説『野火』で再び取り上げている。その後に来るのが『レイテ戦記』である。大岡の書く文学は人間が全力を挙げて人間自身を破壊していく「戦争」という狂気そのものであり狂気に巻き込まれて最大の犠牲を強いられる第三者=現地のフィリピン人の運命である。戦後二十年以上経って大岡昇平は『レイテ戦記』という『平家物語』以来の戦争文学の傑作を作った。戦争における軍隊ではなく兵役における軍隊の実情を兵士の立場から描いたのは野間宏(一九一五〜九一)の『真空地帯』である。原爆の悲惨さを言わば外部から書き出そうとしたのが井伏鱒二の『黒い雨』で被爆の体験を一人の女主人公の魂の死として内面化したのは福永武彦(一九一八〜七九)の『死の鳥』である。敗戦そのものは直接間接に多くの文学作品に反映していたが太宰治(一九〇九〜四八)に『斜陽』や『人間失格』に最も鋭く象徴されていた。

高度成長管理社会について

日本の経済復興には経済的膨張が続いた。六十年代から七十年代にかけて農業就業人は減り労働者は中産階級化し権力機構は安定した。他方対外的にはアメリカ追随、対内的には高度の管理社会に対する反発が六十年代後半の学生運動にも現れたように社会体制の潜在的な不安定性を強めた。商業主義は一方では大衆的とされる保守的な価値観への順応として他方では「センセイショナリズム」として現れる。批判の立場には「昔はよかった」主義と「民主化徹底」主義とがある。

安岡章太郎(一九二〇〜二〇一三)はその世界を身辺の日常生活に限定しながらそこでの微妙な心理的屈折を志賀直哉を思わせる正確さで描き、井伏鱒二のそれに似た諧謔の味をそれに加える。安岡は心理家であって耽美主義者ではなかった。一方で三島由紀夫(一九二五〜七〇)は心理家であるよりも耽美主義者であった。彼の人格の中心には「エロティック」な死の賛美があった。その美学は「エロス」と死と日本浪漫派的なゴンゴリスムからなる。小説家としての三島由紀夫は『仮面の告白』から『金閣寺』まで売るためのみに書いていたわけではない。彼の価値観はその美学も政治的心情も高度成長社会の大衆のそれではなかった。何十万人の読者に訴えるためには小説の根底にある価値観が大衆と一致するか、少なくとも一致しているかのような印象を大衆に与える必要がある。経済的膨張時代にその条件を満たしていたのは司馬遼太郎(一九二三〜九六)である。

井上ひさし(一九三四〜二〇一〇)は大衆娯楽の形式を自由自在な言葉の軽業を通じて社会状況の批判の道具に転用し徳川時代の川柳や狂歌を今日に生かす。喜劇『しみじみ日本・乃木大将』は日本の舞台でかつて演じられたもっとも痛烈な明治天皇批判である。また大江健三郎(一九三五〜)は『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』を書いて阻害された被爆者や戦争とアメリカ軍基地が破壊した地域社会、すなわち「大三地域」を語りながらそれを生み出した権力に抗議し続けた。六十年以後の社会体制の含む潜在的な不安定要因のほとんど全てに触れる。『洪水はわが魂に及び』と『同時代ゲーム』の二つの長編。前者は白痴の少年の観点から「文明」の組織性・能率主義・攻撃的正確・破壊性を批判し、後者はそれ以上に空想的な荒唐無稽で諧謔的な物語の中で四国山中の「村=国家=小宇宙」と日本帝国との戦争を描く。

時代の条件はあるいは一世代の現実はその受容や描写よりもそれを批判し、拒否し、乗り越えようとする表現のうちがわに、またその表現のうちがわにのみ抜き差しならぬ究極の性質を表すのである。

#14了及び加藤周一著『日本文学序説 』完

上記の文章はちくま学芸文庫より出版されている加藤周一による『日本文学史序説 下』の「第四の転換期 下」の「戦後の状況」に相当する。さらなる詳細は本書で。

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