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日本文学史 #1 日本文学の特徴

文学の役割

各時代の日本人は自らの思想を文学作品で表現することを得意とした。奈良時代末期に成立された日本最古の和歌集『万葉集』を例に挙げるとその同時代に記された仏教の理論的著述よりも、その時代に生きた人々の思想を明瞭に表している。

日本人の感覚的世界は抽象的な音楽においてよりも、造形美術、なかんずく工芸的作品に表現された。摂関政治時代の芸術は仏教彫刻や絵巻物に独創性を発揮した。日本の音楽の面から見ると雅楽、浄瑠璃の音楽等固有なものを創り上げたが一度創り出した音楽様式の発展は、工芸品や美術品と比べると僅かなものに過ぎなかった。

絵画の面は驚くべき発展を見せている。室町時代に水墨画を取り入れ、狩野派を発展させ、その一方で中国の南宗に由来する南画に至った。大和絵の系統を融合させながら桃山時代後期に興り近代まで活躍した琳派に及び、そして浮世絵木版画に至ったのである。

日本文化は音楽という人工的な素材の組み合わせにより構造的な秩序を作り出すことよりも日常目にする草花や人物を描き、工芸的な日用品を美的に洗練することに優れていたのである。

以上の特性から伺えることは、日本文学の全体が日常生活の現実と密接に関わり、遠く地上を離れた形而上学的な世界観を嫌ったのである、ということである。この性質は地中海の古典時代や西洋の中世の文化の性質とは著しく違うのだ。

日本に多大なる影響を与えた中国の文学も言わずもがなではあるが優れた文学作品が多く存在する。日本と中国、両国の文化が決定的に違うのは中国伝統の中で包括的体系への意志が宋代の朱子学にも典型的な様に徹底していたということである。

中国の文化は普遍的な原理から出発し具体的な場合に至り、全体をとって部分を包もうとする。一方日本文化は具体的な場合に執してその特殊性を重んじ、部分から初めて全体に至ろうとする。比喩的に言うなれば日本では哲学の役割までも文学が代行し、中国では文学さへも哲学的となったのである。

歴史的発展の型

日本で書かれた文学の歴史は少なくとも八世紀まで遡る。日本文学史以前に書かれた文学は数多くあれど八世紀から今日に至るまでの長い歴史に断絶がなく、同じ言語による文学が持続的に発展している例は非常に少ない。非常に長い歴史を持つサンスクリット語は今日まで生き延びることはできなかった。さらに今日盛んに行われている西洋語の文学はその起源を文芸復興期(十四・五世紀)前後に過ぎないのである。ただ中国の古典語による散文だけが、日本文学よりも長い持続的発展を経験したのだ。

日本文学の歴史は長いというばかりではない。その発展の型に著しい特徴があった。普通、ある時代に有力となった文学的表現形式は、次の時代には受け継がれはしない。然し日本文学は新たな文学表現が旧来の文学表現に付け加えられるのだ。短歌を例にあげよう。31音からなる叙情詩の形式はすでに八世紀から存在していた。十七世紀になり俳句が付け加えられ近代になり自由詩型が用いられる様になった。今日でも上記三形態は当然の如く用いられているのである。演劇もまた然りである。室町時代に登場した能、狂言。江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎。二十世紀に登場した大衆演劇、新劇。それらは今日でも盛んに上演されている。時代を特徴付ける美的価値についても同様のことがいえる。摂関時代の「もののあわれ」、鎌倉時代の「幽玄」、室町時代の「わび」或いは「さび」、徳川時代の「粋」。それらは次の時代に受け継がれ新しい理想と共存した。この様に日本の文化史というものは古いものが失われにくいため統一性(歴史的一貫性)が他国の文化に比べて著しいのである。

言語とその表記

日本語と中国語とでは系統を異にする言語で、その音体系も、語彙も、文法も全く違う。表記の手段がない日本は中国の漢字を取り入れた。漢字を用いて日本語を表記するためには特別な工夫が必要である。一時の意を採って音を捨てる(その際には相当する日本語の音を当てる)方法と一字の音を採って意を捨てる(本来の表意文字を表音文字として使う)方法とがありその双方が採用された。漢字を簡略化した仮名が生まれたのは九世紀である。

上記の事情から少なくとも七世紀以後十九世紀まで日本文学の言語には二つあった。日本語の文学と中国の散文である。代表的な例は『万葉集』と751年に成立した『懐風藻』、『古今和歌集』と平安時代初期の『文華秀麗集』である。日本では文学の二か国語併用が明治時代まで続いたのだ。

近代の日本は感じの組み合わせによる新造語で、ほとんど全ての西洋語を訳すことができた。故に西洋の語を受け入れることが他のアジア圏と比べて容易だったのである。

社会的背景

日本文学の特徴の一つとして求心的傾向がある。日本文学のほとんど全ての作者は都会に住み読者も同じ大都会の住民であって作品の題材の多くの場合都会生活である。中国では一時代の文化が一つの都会に集中してはいなかった。欧州の中世を見てみても吟遊詩人の時代であり、各地を渡り歩いてラテン語の詩を作っていた。近代になってもドイツ、イタリアの文学活動が一つの都市に集中したことは一度もない。日本の場合には飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂(人磨)以来、斎藤茂吉に至るまで地方語による大詩人は現れなかった。

文学が大都会に集中する傾向は九世紀以降、京都において徹底した。平安時代になり経済が大都会を支えるに足るところまで成長し、政治的権力の独占に文化的活動の独占が伴ったのである。その後も京都が文学の中心となり江戸時代に入ると中心が京都・江戸と分かれた。明治時代になり遷都と共に東京中心時代がはじまった。

文学活動の中心であった大都会で、文学と係りを持った社会的階層は時代によって交替した。日本の文学的階層は奈良時代にはまだ十分固定し切れていなかった。最古の歌集『万葉集』は貴族ばかりではなく、僧侶、農民、兵士などの歌がありさらには無名の民衆のもあった。凡そ百年後の『古今集』では歌人の圧倒的多数が九世紀の貴族と僧侶であった。平安時代には独占的な文学的階層が成立する。

平安貴族の文学的階層には二つの特徴がある。その第一は傑作を生み出した作者には下級の貴族が多かった。第二に女性が多かった。貴族権力の中心からではなくその周辺部から時代を代表する多くの抒情詩や物語が生み出された。理由として下級貴族は宮廷生活を観察するためには十分に対象に近く、そこで権力闘争に巻き込まれるという可能性もなかったからである。

平安時代に入り高度に組み込まれた文学者や芸術家は鎌倉時代以降の武士社会からは多かれ少なかれ阻害された。『新古今和歌集』の歌人たちは日本における最初の阻害された詩人たちである。その後続く数百年、作家はしばし遁世する様になった。そのため封建制と内乱あるいは一揆によって特徴づけられたこの時代を文学史家たちが「隠者文学」の時代と呼ぶのはそのためである。

武士階級が自ら読み、書き、文学を創り出し始めたのは江戸時代においてである。そして町人の中でも新しい読者・観客・聴衆の層が育ってきた。その作者の家族的背景は、凡そ十八世紀の中頃から分ける事ができる。前期は主として武家、後期が武家のみならず町人及び農民である。

明治時代以降の文学的階層は、都市中産階級である。文学者の生家は江戸以来の町人・士族と地方の中小地主層との二つの範疇に分かれる。前者の例として森鴎外、永井荷風。両者の文学は都会的であった。後者の例は島崎藤村、田山花袋である。その文学は都会的洗練はない。

民衆はどんな文学を生み、どんな精神を文学に反映してきたか。今日残されている資料には凡そ3種類ある。第一に民衆が生み出した歌謡、伝説を文化的選良が収集し、記録し、作品の中に挿入したものである。第二に文化的選良が同じ階層の読者(あるいは観客)のために書いた作品で民衆の生活や価値観と密接に結び付いたものである。第三に民衆がしばしば作り享受した作品である。

日本文学史の社会的特徴の一つとして作家がその属する集団によく組こまれていたという事でありその集団が外部に対して閉鎖的な傾向を持っているということである。明治以後の官僚政府と資本主義の時代をとってみても文学の疎外現象と閉鎖的な文壇が見られる。その事情に著しい変化が生じたのは太平洋戦争以後の現代であって一方では再び大衆社会への組み込まれが目立ち(風俗小説から三島由紀夫まで)他方では大衆社会の中で極端に疎外された作家の小集団形成への傾向(多くの同人雑誌)がみられる。

世界的背景

日本人が構築する世界観は多くの外来思想の浸透よりも土着の執拗な持続とそのために繰り返された外来思想の「日本化」によって特徴づけられる外来の世界観の代表的な例として第一に大乗仏教とその哲学、第二に儒教、中でも朱子学、第三にキリスト教、第四にマルクス主義であった。その他にも老子と壮子の思想、西洋の科学思想がある。然し両者は自然・人間・社会・歴史の全体を説明しようとする包括的な体系ではなかった。

日本の土着的な思想は遡ること四世紀あるいは五世紀に始まるとされている。その背景には祖先崇拝・シャーマニズム・アニミズム・多神教の複雑な信仰体系があり地方によってその内容を異にする。

日本の思想の中でのカミは超越的な原理がない。カミは全く世界内在存在であり神代はそのまま人代に連続する。そのカミは無数にあって(所謂、八百万の神)互いに他のカミを排さない。例えばヤマトタケルがクマソを征伐したのは自己の集団を拡張するためであり当事者の信仰する価値観の証明ではないのである。聖地を解放するために戦ったとされる十字軍の話とは根本的に異なるのだ。

日本の世界観はどのように拡張されて行ったのか。大まかに三つに分けられる。第一に外来の世界観がそのまま受け入れられた場合。第二に土着の世界観を足場として拒絶反応があった場合。第三に(これが最も多い理由である)外来の思想の「日本化」であるのだ。

特徴相互の関連について

時代の思想表現としての文学の持つ特別の意味、旧に新を代えるのではなく旧に新を加える歴史的な発展の型、支那語と日本語の併用、部分から初めて全体へ向かう日本文の構造、文学敵階級の交替と文学者の集団への組み込まれ現象、非超越的な土着の世界観と超越的な外来思想の共存。このような日本文学の特徴はある面は中国文学や西洋文学と共通であるがその全体は日本の場合固有のものである。

#1了 #2は『万葉集』の時代

上記の文章はちくま学芸文庫より出版されている加藤周一による『日本文学史序説 上』の「日本文学の特徴について」に相当する。さらなる詳細は本書で。


是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。