#25 性に畏怖する

 若い男性というのは四六時中、本能的に異性やエロいことを考えてしまうのではないでしょうか。満たされない自身の欲望をそのまま女性にぶつけるわけにもいかないのが社会性というものでしょうからに、極度に悶々として過ごした時期も20代の後半にあったような気がします。
 ところで、そういった享楽的な意味でのエロへの関心というものは若い頃ほど一般的にあるのでしょうが、そのエロを実際に体験しつつも、突き詰めて考えてゆくうちに、存在そのものがエロいというような女性に私は辿り着いてしまったのかも知れません。なんだこの身体は!?というような太母(たいぼ)のような、いわゆる土偶のような女性というのが居ますが、それはユング心理学における元型論のなかでいうGreat Mother元型を示すような女性です。そういう女性が私は大変に好きでして、あるいは畏怖する対象でもありまして、私の心を魅了して仕方がないのです。よく若い女性が好きだとか、美人な女性が好きだとか、私もいろいろちらほら会ってきましたが、そういう女性には"存在としてのエロさ"が往々にして足りないことが多いのです。そりゃ確かに若くて美人でキャピキャピ(4語?)した女性というのは健康的にみえてそれはそれでいいものなんでしょうが、私はどちらかというとそういう女性にはあまり興味が続かず、なんというかまとってる空気が独特というか妖しげというか、私の視点からすれば存在感のある不思議な女性にそのエロさというものを昔から考えてしまう節があったのでした。
 すべての衣食住は性から生まれ、そしてそこに4んでゆくと今では信じてるのですが、それは凄いことだと思うのです。いま飲んでるコーヒーも、夕ごはんで頂くお米や魚も、すべて性から生まれてきています。道端に生えている木も、飼い主が連れているペットも、突き詰めればやはり性を通してこの世界に生まれてきています。ですから産む性である女性の神秘というものは、男性の私には極めて魅力的で、極めて怖ろしくて、極めて畏れ多いものとして考えてきたのです。
 享楽的な意味で始まった女性への関心の裏に、そんな思いが潜んでいたと気づいた暁には、女性というものが、愛としての男性である私の視点からも極めて神聖に考えられるのです。上品(じょうひん)なのか下品(げひん)なのかよく分からない、そういう女性が愛おしくてたまりません。

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