見出し画像

【トーシツ3】暮らし方の工夫

 今回は,トーシツ(統合失調症)という障がいをもって暮らすということについて詳しく書こうと思いますが,"障がい"という言葉をあまり強調したくないのでタイトルは「暮らし方の工夫」と無難なものにしました.

 ところで,私は障がい者手帳(2級)というものを昨年末に取得しましたので,事実上社会手続き上の障がい者という部類に晴れて(?)なったのですが,両親や主治医などは古いタイプの人なのか,障がい者手帳取得については前向きではない印象ではありました.実際に取得して感じたのは,そもそも私はトーシツの人でも軽い方の部類で3級程度だと思っていたのですが,1級に近い2級で診断を受けてしまいそれにオロオロしつつも手元に手帳が届いてホッとする部分も確かにありました.なぜなら確定申告などの手続きによって税制上減税される-a 公共機関など減免や免除などが一部可能となる-b その他民間の割引サービス(しかも同伴者も)などもあったりする-c という特典が受けられるからというのも大きいです.
 しかし,手帳を取ったからといってハイ!あなたは障がい者!手帳を持ってないからといってイイエ!あなたは健常者!というわけではないというのも実感としてありまして,健常者と障がい者のちがいは,法的には手帳を持ってるか持ってないかのちがいだけで,健常者でも障がい者っぽい人も居れば障がい者でも健常者っぽい人も居て,実際は地続きなものだとも今は感じてます.
 ・・・「障がい」の話はここら辺までにして,次の話に移ります.

 タイトルのとおり,暮らし方の工夫というわけですが,トーシツの人にとって睡眠は結構命だったりするものではないでしょうか?休息時間含め,睡眠時間が多めに確保できないような生活はまず続けられないと考えておいた方が無難と経験上おもいます.特に自宅から会社への移動時間の多い職場や,睡眠とはいわずとも休息のほとんど取れないような職というのは避けた方がよいと今では考えます.私の場合は(手帳2級の人なのに),幸運にも徒歩圏内に職場を2つ掛け持ちできていることから時間の節約も出来ていますし,ひとつの職に自分が必要とする目的やその生活要素を重ねているので,パフォーマンスが高くなる一石三鳥の効果が得られています.
 たとえば,私はいま現在クローズで清掃員の仕事をさせてもらっていますが,現場清掃-1 という最もたる仕事の目的のほかに,ジム通いの効果と類似の運動ができうる-2 (最低時給にちかいですが)お金を頂ける-3 という目的が達成できてます.ここで運動は陰性症状由来の抑うつ状態の緩和にも役立ちますし,またお金を得るというのは生活に欠かせないですから,実にありがたいものではないでしょうか?
 ほかにも葬儀場の宿直の仕事もさせてもらってますが,休息含む睡眠時間を多めに確保できる-1 お金を頂ける-2 などの好都合な状態を作り出して症状の悪化を比較的防ぐこともできています.
 あまり手帳2級以上の人でふつうに自活できそうな人というのは少ないとは考えますが,このような工夫で今のところ乗り切ってはいますし,手に職がある特に国家資格保持で専門職のような人ならもっと高時給かつその人次第でより過ごしやすい環境を形成しながら仕事も可能になるかも知れません.ただ,これ以上の内容についてはビジネスに関する個人個人の思想が強く入ってきそうですから,お話はここら辺までにいたします.
 その他,暮らし方の工夫という点においては,流行りのオンラインコミュニティに所属して自分と似たような立場の人からそうではない人までいろいろ交流できるというのは,まさにスマホが普及した今だからこそできる旬の営みかとも感じました.

 次に,そういったリアルの生活の工夫ではなく,自分の内面的な部分での工夫というのをお話いたします.
 これは私の場合ですが,日記をつけ続けてもう25年以上経つのですが,日記の習慣はわずかに時間を取られるのがデメリットになるだけで,あとは本当にメリットの多い習慣のひとつでした.具体的には,幻覚幻聴妄想などの一般には人に話せない内容を吐き出すことができる,また自分の感情整理や人格形成に一役買ってくれる,上手い下手はありますが文筆の習慣を身に付けさせてくれるなど,これもまた一石三鳥な習慣のように感じられます.振り返ってみると,こういった自分を豊かにさせてくれるものというのは,比較的に簡単便利お得ではなく,地味で素朴で安価なものごとのなかに再発見できることが多い気が今ではしてます.たとえば,畑を耕して作物をつくるとか,そういったエコでロハスな暮らしをしてみるとか,結構むかしの人の暮らしの中に現代人がその便利さゆえに失ってしまった大切な生活要素がふんだんに含まれている気がします.
 ほかの精神障がいも含めて,こういったこころの不調全般については,文明のよからぬ部分から脱して,そういう地味で素朴なむかしながらの生活を営むことによって概ね改善するのではないか,ときにそこに対価となるお金などが発生すればラッキー程度におもって暮らせば解決してゆくのかなという気がしてます(要は"健康的に暮らすことを根本にしよう"ということ).また以前,別の記事において"普通を侮ってはいけない"みたいなことを言っていたのですが,そういう部分につながるのではないかなという気がしてます.

 さいごになりましたが,たとえば健康食品とか,運動療法とか,絵画療法とかいろいろと・・・と改善するためにはさまざまな手法というのがあるのでしょうが,その一つとして私の実例をお話させてもらいました.なにか参考になりましたら幸いです.(※またなにかありましたら追記しようかとも考えます)

 本日もここまでお読みくださって,ありがとうございました.

了,40min.

※本記事の著作権は陽太に帰属します.
yohta.yingyang(at)gmail.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?