#21 暮らし方のゆくえ

 子どもの頃というか子どもっぽい人らからやたらと馬鹿にされていたという過去の記憶が私にはあります。馬鹿にされる程度なら未だしも蔑まれたという体験もちらほらありまして、そういう人とはまったくもってして縁が続かなかったという事実があります。
 最近、自分の進むべき道や自分のすべき暮らしというものをよく考えることがあります。いまここで必死豆炭になって忙しく暮らしていたのならばそんなことを考える余裕すらないのでしょうからに、私は現在とても恵まれているのでしょうが、一つの大きな人生の岐路といいますか、人間社会から退避しようかという気持ちが強く出てきております。具体的にどう生きてゆくということは申し上げられないのですが、プライベートで交際しているような仲間が居る世界で暮らそうかなと考えることが大変増えてきています。ふと「もういいかな……」と思わずつぶやいてしまいたくなる実感がありつつも、人間社会に、いや"娑婆"に、未練後悔執着はまだ残ってるんじゃないか?みたいな部分も探ろうとしているのですが、かつて私は僧侶になるために寺叩きをしていた時期があるように、出家ではないですけども、出社会みたいなのをした方がいいのかなとさえ考えてしまう状況です。
 話は戻って、馬鹿にされるということですが、そういう人たちが自分の人生を応援してくれていたのか、味方で居てくれたのかなどという点を踏まえますと、一概にもそうとは言えず、グレーな友だち関係かと振り返ります。ですので、今後どういう人たちとどういう暮らしをしてゆくかと考えたときに、過去同様を繰り返さず、お互いを応援しあえるような、味方で居られるような、そういう関係で"在り"続けられる、そんな人生の段階、それはその最終章のような段階で暮らしてゆきたいと強く考えるのです。
 どこからか「じゃあ結婚しろよ」みたいな言葉が聞こえてきそうですが、なにかいまの私が偶然半端にかたちだけ結婚したとしても、むしろ不幸せになるような気がしてならない。ならばそれが異性でなくとも、年齢が違っていても、なにか"同じような心境"に居るような、できれば立場も似ているような仲間と暮らしてゆけたら幸いなのだろうと考えてしまいます。抽象的な話になってしまいましたが、敵や味方を分けたくもない、友だちの線引きをするほど出来た人間でもない私ももう(40)ということで、道や在り方を固めます。

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