#26 毒親というか娑婆

 十数年前から「毒親」という言葉がとても流行るようになりました。私はその走りの者でして、この言葉の出所がたしか国内ではなく国外からだったというのを実際の著書を読んでいて知っています。昨今では「親ガチャ」などの言葉を通して、親を非難する"毒子"とでも呼べそうな人種も増えている印象があります。また、毒親というのは様々な分類があるのでしょうが、一般的にいわれる毒親というのは実に傍からは分かりにくいものでして、外向きの顔はよくて内向きの顔は……ということが多いものかも知れません。だから非常に厄介な部分があるのですが、毒親の様々な特徴をあえて置いた上でその定義を求めるならば、(いろいろな意味で)"子を持つ自立できていない者"といえるのではないでしょうか。一方で、毒親に育てられた子どもというのもまた特異な特徴を持つことが多いようで、何かしらの世代間連鎖のようなものが続きやすいのかなという気もします。しかし、そういった鎖をいかにして絶ってゆくかということに注力している前向きな人たちも居ます。
 ところで、数年前までといいますか今でもそうなのですが、私は職業柄にて他人のご家庭にお邪魔する機会の多い者でして、これまで多くのプライベートな生活の場というものを見てきました。そうしますと、やはり少なくとも10件に1件は明らかに毒となっていると察せられるような親子やそういった人間関係のご家庭というものに当たります。そういうご家庭では大抵、毒を受けている側の人はその毒を放っている側の前では黙っている姿勢であることが多く、毒を放っている側を心理学的知識などを基に観察しておりますと、例えば投影という防衛機制を働かせていることが多かったです。私は20代の頃から職業柄というのも含めて、そういった教養や経験を積んできましたので、人のよしあしというものは収入や肩書、あるいは権力や名誉、そしてそういった表向きの立場などとは全く関係がないのだなとも考えるようになりました。よくもわるくも「変な人~!」なんて言われる人が至って普通の人のこともあれば、立場のよい者でも"人として変な人"というのは実は結構居るのです(寧ろ後者のパターンの方が意外に多いかも知れない)。
 最後となり"救いようのない"結びとはなりますが、"娑婆(しゃば)"ってそんなものなのだからこそ、もっと気長に身軽に"いきたい"ものですね。

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