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なぜ人は人の死を止めようとするのか?死なせないのか?その心理を探る

あなたは死に関してどんなイメージを持っているだろうか?ほとんどの人は、悲しいこと寂しいこと、大変なことツラいというようなイメージだろうか?私は死は良いことでも悪いことでもない。あたり前の自然な現象という印象が強い。もちろん人が亡くなると悲しいし寂しい。けど別に悪いことだとは思わない。

この記事では、なぜ人は人の死を止めようとするのか?死なせないのか?その心理について考えていこうと思う。

私の思想は少しだけ刺激的なのかもしれない。変な考えを脳裏に吹き込まれたくない方は見ないのが賢明だと思う。そこは自己責任でお願いいたします。


人は集団の中で生きている生き物である。全ての人間が集団の中で立ち位置があり、周りからどう思われているのか考えながら生活している。

なぜ人は人を死なせないのか?
その理由を3つ紹介

なぜ人は人に死なせたくないのか?その理由は複数の理由が複雑に絡まっていることが多いと思う。純粋に死んでほしくないと思ってる人は実は少数だと思っている。

人が人を死なせない理由3つ⇩

  • 本当に死んでほしくない

  • 迷惑を被りたくない世間体を守りたい

  • その人に依存している
    相手を利用しているので居なくなると困る


本当に死んでほしくない

精神的に自立しており相手に対しての敬意や恩を感じた人なら純粋に死んで欲しくないと思っている可能性が高い。しかし、その人に嫌なことをされた。酷い扱いを受けた経験があり、不快な思いが残っていたらむしろ死んで欲しいと願うかもしれない。自分に危害を加える人間はこの世から消えてほしいと切望するのが正直なところである。

迷惑を被りたくないし世間体を守りたい

人身事故のよる急な電車の遅延を皆さんはどう感じるだろうか?私はそんな状況になると周りの人がどういう風に感じるのか興味があるので周りを注意深く観察する。すると、全く気にしないでスマホをいじっている人や、あー電車が遅れると眉間にシワを寄せている人を見かける。しかし悲しそうにしている人を見たことがない。みんな他人の死などどうでもいいようだ。それよりも他人の死で迷惑を被るのはごめんだと感じる人が多いのかもしれない。結局人間は自分さえ良ければいいのである。

人に死んで欲しいという思いを正面からぶつけるのは勇気が要ることである。基本的に人に殺意をぶつける人は敬遠されやすい。人に死んで欲しいと願う人と仲良くなりたいと思う人はいるだろうか?集団の中に生きる人間にとって、相手に殺意を向ける危ない考え方をする人は、自分の生存の脅威となりうる。みんなバカではないので、本音を隠している人間が多いのではないか?

その人に依存している
相手を利用しているので居なくなると困る

生活が困るほど相手に依存していたら、寄りかかる人間が居なくなるのが嫌だから死んで欲しくないと思うだろう。

他にも自分の都合のよいように利用できる相手が居なくなるのが嫌だから死なれては困るという意味で死なせたくないと思う人も人もいるだろう。

依存や利用される相手はたまったもんじゃないが、実際そういう人は多いだろう。純粋に相手が死んで欲しくないという思いに達するには、それなりに精神的にも経済的にも自立していないと難しいのかもしれない。

死というのは究極の喪失感を生む

人を死なせない理由として何かを喪失したくないという欲求があるのかもしれない。死というのは究極の喪失感を生む出来事である。

人はなぜ泣くのだろうか?
人はなぜ悲しむのだろうか?
その答えは何かを失うときに発生する。
喪失というものに関係があるのかもしれない。

人は何かを喪失したときに悲しくなり泣くものだ。それは恋人と別れたとき。受験が失敗した時。スポーツに負けた時。そして人が亡くなった時だ。

恋人と別れたときは、相手との楽しい思い出がもう体感することが出来ないと思い悲しくなる。

受験が失敗したときもスポーツで負けた時も、自分の頑張りが無駄になったような意味が無くなったような喪失感と悔しさで泣くのだろう。

人が死んだときに悲しんで泣くのは、もう二度と会うことすらできない。もう二度と笑った姿を見ることは出来ない。二度と話すことは出来ない。その人との楽しかったことを思い出し、もう二度と楽しい日々を味わうことは出来ない。過去に色んなことを教えてもらった。でももう二度と教えてもらうことは出来ない。そんな喪失感が関係していると思う。

相手との楽しい思い出があればあるほどもう二度と体感することはできないと喪失感も大きい。だから長く苦しむことになる。でもそれは逆に相手との思い出が多かったという証である。

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