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今年の漢字「流」

書きたくない時期を経て、今日にいたります。なんだか書きたくなってきたな。

つい最近、大学時代のゼミメンバーに会った。この『さんぽ』のB面メンバーの大城と、長野までヒッチハイクをした友でもある宮田だ。おひさ〜。駅前のコーヒー屋さんに行くことにした。店内で焙煎をしているお店のためか、かなり香りが良い。飲む前に鼻が幸せです。
そこで、ふと大城が言う。

「今年を漢字一文字で表すと何?」

年末らしい質問だ。そうか、もう年末だったのか。2020年もフィナーレを迎える。今年は季節感なく突っ走ってきたような気がして、一年がなんだか早かったな。

宮田は「止」だそうだ。いつでもアクティブな印象の宮田。宮田にとっては、やりたいことが思うように進まず、足踏みすることが多かった一年だったということのようだ。
大城のは、別記事でアップされるかもしれないので、ここでは割愛。

さて、私は…、ん、この瞬間まで振り返ってこなかったな。えーと…。

「流」

思いつきで口にしたわりに、しっくりきた。

良くも悪くも流された/流れた一年だった。周りの力や環境に流されてしまい、自分の意思で動くことがうまくいかなかったことも多かったように思う。

ご時世的に流れて去ったことも多かった。個人的な予定や仕事の予定など。あったはずのものがなくなった。なくしたことさえ気づいていないもの/こともあるだろう。今はまだわからない。
私がコロナ禍を直接感じたのは今年の3月。バスケの試合を観に行こうと思っていたが、それが中止になった。チケットの払い戻しをしたり、サイトの最新情報を確認したり、具体的な行動をしたのはそれが初めてだった。

一方、良い流れに乗れた瞬間もあった。
好きなものに時間を使い、好きと言えるようになったことだ。
今年は対面イベントやフェスの中止が相次いだ。エンタメ業界で盛んになったのは、配信ライブだろう。私は、配信ライブを家でPCから見た。世間が混沌としたこの状況下で、元気を届けてくれるというのだ。これには心が救われた。どのアーティストのを見ても、涙がでた。音楽や配信ライブをたのしむことに時間を使い、それを好きと言えた。前向きな心を手に入れることができたのだと思う。


さて、2021年はどんな年にしよう。

まぁ、急ぐこともない。ここで一旦お茶でもすすろう。気の抜けたコーラでも良い。(急ぐこともないというのも学んだようだ。生き急いでしまう節があるのだが、私には具体的に取り組んでいるものなど何もないのだから、まぁ、落ち着きたまえ。)

今年学んだのは、自分の意思で自分の行動は選べる、ということ。
当たり前だと思われるかもしれないが、私はこれが本当にできない。今まで避けてきた。苦手すぎる。流されるのも、流れに身を任せるのも時と場合によっては良いだろう。悪くない。
しかし、選択肢があるのであれば、自分で選べるようにしたい。ないのであれば、自分で作れるようにしたい。

かなり高度な目標を立てたように思うが、挑戦してみたい。やってみてダメなら他の方法を試せば良い。
そりゃそうだろと思われるかもしれないが、年々臆病になり、内側へと籠もっていた私にとって、これは大海原に出る覚悟をしたと言っても良いだろう。あ〜、荒波なんだろうな。この波に流されるのか、流れを読み切って/流れをつくってサーブボードを操るのか。おもしろそうとも思える。

今日は仕事だった。強い寒気によって広いエリアで雪が降り、名古屋でもチラチラ舞った。一方、太平洋側は冬型の気圧配置によって晴れ。私がいる千葉も日差しが届いた。朝から富士山がよく見えた。空気が冷たくて小銭を掴む指が震えたが、カラッとしていて気持ちが良い。
16時半ごろ、大晦日の日の入りを眺めたあと、この文章を書いている。前向きな気持ちになれたようだ。このあと24時を超えれば、新しい年がやってくるのだね。

では、良いお年を。



ちょっと肩の力を抜いて、ゆるくステップ踏んで、2021年に行くことにする。いまの気分はこんな感じ。
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MINT / Suchmos

村松美紀

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