差し出されたハンカチを、すっと受け止めるには
先日、セブンイレブンで買ったレモンサワーとアイスを片手に、近所の公園で大学時代からの友人と酔っ払ったまま、自分を好きになることについて語り合っていた。
自己肯定感、という言葉は、教育の現場で簡単に使ってしまうのだけれど、本当に奥深くて尊くて、同時に危うさや脆さのある言葉だと思うのだけれど、とりあえずその夜はどうやって自己肯定感上げてくんだろうね?って話をしていた。
自己肯定感は、恋愛でも仕事でもどんな側面からでも語れるし、20代後半の私たちにはわりと常に頭を悩ませるものな気がする。
だからか話題は尽きなくて、日付を超えて、レモンサワーが生ぬるくなってきた頃、自分のことを自分で大切にできないエピソードを話していた時に、友人がぽろぽろっと涙を零し始めた。
ハンカチをすっと差し出すと、彼女が呟く。
「こうして差し出されるハンカチも、なかなか受け止められなかった。全然大丈夫だよって、袖で拭っちゃうんだよね。」
愛くるしさで、心臓がきゅっとなる音がした。
自分のことを大事にすることは、言葉にするとシンプルなんだけど、どうしてだか少し大変な行為でもあるらしい。
誰かに甘える、信頼を寄せるという行為は、自分を信頼していないと難しいのだ。
泣くほどの、いま自分が感じている気持ちを、自分が受け止めきれていないと「こんなことで泣くなんて」「そしてそれを誰かに受け止めさせてしまうなんて(申し訳ない?)」と蔑ろにしてしまう。
子どもが大人に要求を伝えてるために、大声で泣き叫んだりするのも、すごいなって思う。大人になってからそれができないのは、言葉で交渉するスキルを体得したこと以上に、自分の嬉しい悲しいといった感情を感じたり、誰かにそのまま気持ちを預けることが、怖くなるからだと思う。
じめじめした肌に、生温い風が吹く。
自分が感じている気持ちを大事にして、悲しいから泣いて、すっとそのハンカチを受け取って、ありがとうの気持ちを相手に返せるように、なりたいものだなあ。
後日、洗濯して返されたハンカチに、さらにハンカチの贈り物をつけて頂いたので、遠慮なく今後また、自分の涙も、そして彼女の涙をふかせていただきたいなと思う所存。
♪涙の数だけ強くなれるし、ハンカチの数だけ優しくなれるはず
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TOMORROW/岡本真夜
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