見出し画像

さんぽ絵日記 材木座の潮神楽

ビーチに行くのは冬に限る。訪れる人も少なくて、海と向き合うことができる。浜辺はたくさんの貝がらと澄んだ空気にあふれた地元の人たちの庭になるから。

1月11日の鏡開きに正月飾りや松を持ち寄って燃やし、もちやみかんを焼いて食べるという習わし。私の住む地域でも昔は浜辺で各町ごとに行われていたというけれど、その浜も埋め立てられて、「さいとぎ」とか「せーとぎ」と呼ばれていた行事はなくなった。

でも隣町の鎌倉材木座の浜では今もどんど焼きが行われている。

どんど焼きの前に行われる五所神社ごしょじんじゃ潮神楽しおかぐらはここ数年は行われていなかったようなのだけれど、今年はどうやら開催されそう、ということでさんぽがてらぶらぶら砂浜をゆく。四方に竹が立ち、5色の垂のついた縄が張られた会場には、海に向かって鯛、鏡餅、酒、かぶや色とりどりの野菜、みかんなどが祀られた祭壇が並んでいた。

儀式は天王唄てんのううたという唄の奉納からはじまるようなのだけれど、そこには間に合わず、このときは、その唄を納めていたと思われる、半纏に大きく「唄」と書かれたご老人がお参りしていた。

順番に祭棚の前で祈る

海越しの稲村ヶ崎のかなたには雪をかぶった富士が、まるで舞台美術のように顔を覗かせている冬の材木座。この日の風はそこそこ強く、曇りがちで寒い。

稲村ヶ崎の合間から雪をかぶった富士

でんでけでけでけとなる太鼓に、なんだか明るい調子の笛の音が響き、裃姿の3人が順に鈴や扇子、垂などを持って舞う。海の目の前で舞う、どうやらこれが潮神楽なのだろう。

中座では参列者にお神酒がふるまわれ、その後裃をぬいで白装束になった神主さんがおもむろに笹の葉を持ち、傍にたぎる釜の湯につけはじめる。そう、神楽の脇では先程から釜に湯がたぎっていた。笹の葉が湯に入ったのか、火のそばの方がなにか話していたようだったのだけれど、聞き取れない。湯の花の立ち方で吉凶が占われるというので、それについて話してくれていたようだった。

再びの舞ののち、突然、舞人は笹の葉についた湯を勢いよく参列者にかけはじめた。これを浴びると健康でいられるとのことで、突然の攻撃にもみんなあわてずに耐えている。まあ、熱いとはいえ、寒い日のこと、すぐに冷めるからだいじょうぶ。見学に来ていた幼稚園の子どもたちも興味津々で、びっくりしながら皆でありがたい湯を浴びていた。

湯の振る舞いが終わると、神主さんたちは先ほどとは違う羽織を着て、今度は弓矢を持って舞い、4方へ矢を射る。お湯の次は矢責めとは、見学するのもなかなかにハードである。どうやらこの矢は自分の近くに飛んできたら頂いていい縁起物らしく、遠くに飛んだ矢を取りに走る人もいた。

最後は赤い面の天狗と黒い面の『もどき』の舞。もどきは頭には海藻のようにちぢれたかつらをつけ、しゃもじのようなものを持ち、狂言のようなユーモラスな動きで天狗をまねる。子どもたちにちょっかいを出したりして笑わせる道化役で、表情豊かに場を和ませる。

二人がお供えのみかんを周りの人々に投げると、ちょうど近くの人にぶつかったみかんが跳ねて私のところにも飛んできたので、ありがたい福をいただいた。

一連の流れが鎌倉神楽、潮神楽、湯花神楽などと呼ばれている神事で、以前、坂ノ下の御霊神社の祭りでも同じようなものを見たことがある。歴史のある鎌倉ならではのヘンテコな(褒めてます)祭りだと思う。鎌倉大町の八雲神社では1月6日、葉山の森戸神社では6月に行われるとのこと。

神楽が終わるといよいよどんど焼きがはじまった。

朝から皆が持ち寄ったお飾りは神楽の横に高く山のように積み上げられていて、点火とともに火はあっという間に松やお飾りを火の粉にして燃え上がらせ、ほどなく灰となる。

神楽とどんど焼きに集まってきた人々も三々五々浜辺を去って、残った人はふたたび海を見ている。私はポケットのみかんを思い出して足取りも軽く、さて、誰と食べようかと考えていたら、さっきまで天狗ともどきだった神主さんたちが軽トラに乗って軽やかに走り去って行った。この寒空に長時間着物一枚はさぞや寒かったに違いないので、はやくどこかで温まってね。

てんぐともどきのみかん投げ




以前描いたどんど焼きのスケッチはこちら

この記事が参加している募集

お祭りレポート

散歩日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?