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旅のスケッチ ダバオへ

青年海外協力隊に応募しようと思ったのは、海外で働いてみたいという気持ちからだった。勤めていた会社が倒産して同じような職種につくのもなんだかな、と思っていたときに、半ばモラトリアムのような不純な気持ちで選んだものだ。誰かを助けたいというような高尚な気持ちはあまりなくて、今までの専門分野を生かしつつ、今までと違う環境に身を置くことができる協力隊に魅力を感じていた。

協力隊は、イメージでは汗水流して発展途上国で井戸を掘ったり、畑を耕したりするのだと思っていたけれど、実際には教師など都市で働く募集も多い。隊員の応募は専門分野の職種ごとに試験を受けることになる。私が今までしてきたことや資格を考えると、「美術」や「デザイン」という職種も選択肢にあったけれど、あこがれていた国ブータンと、南米ボリビアで植物園を設計するという募集があるのを見つけて「造園」で応募した。

実際に受かったのは、「造園」での募集があった4つの行き先のうち、フィリピンの大学で大学のプランニングをするという、設計分野の仕事だった。面接試験でヒノキとサワラの違いを聞かれて、適当に答えたのがマズかったに違いない。今にして思えば、当時そこまで植物に詳しくなかった私が、植物園での仕事に合格するはずはなかった。

そんな訳で、私は想定とは違うフィリピンという国で2年間を過ごすことになった。3ヶ月間を福島県二本松の訓練所で過ごし、師走の頃に出発。冬の日本から常夏の国へ。当時、協力隊は基本的には任期の2年間の間帰国は許されていなかったので、ここから2年続く夏が始まる。

私の任地はフィリピンの南にある大きな島、ミンダナオ島の南部にあるダバオという町。日本では、マニラの次に知られているフィリピンの都市といえばセブだと思うけれど、実はダバオはフィリピン第二の都市だ。ただし、面積も広いので、少し郊外に出れば田舎っぽいのどかな風景が広がっている。赤道より南にあるので、台風が来ることもほとんどない常夏の地。

赴任当初は、カウンターパートと呼ばれる受け入れ先の室長であり私の相談役である方の家にお世話になった。フィリピンと聞いてイメージするのとはだいぶ違う、丘の上の小ぎれいな一軒家。とうやらここは高級住宅街らしい。

クーラーもあるおうちの2階のベットで目が覚めると、眼下には椰子の木とバナナの木がところどころに見える、町と言うにはのどかな風景が広がっていた。なだらかな稜線の美しい山はMt.apoだとカウンターパートが教えてくれる。アポ山の一枚をスケッチするだけでは広さが足りず、2枚の紙を継ぎ足して描くと、左に見えていたダバオ湾までが画面に納まった。

ミンダナオ島ダバオ アポ山の朝

これから2年間を過ごすダバオ。美しい町だ。とうとうやってきたんだな、と噛み締める。


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