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平凡な街の鬱陶しい出来事⑩かまってちゃん考

次々現れるかまってちゃん達。
不思議な感じもするが、人間の本能の部分かも知れない。。でも、微調整が出来ない人達だ。

大概の人はどうにかやっている。
環境によっても、自分の出し方に差があるかと思う。
そうは言っても、多くの人は他人にわざわざ嫌われる事はしない。
人生のなかで自分を曲げてはいけない場面、譲れない場面も訪れる。そんな時はどうするのかと悩んだりする。

かまってちゃんは、それ以前の問題だ。暴言を吐かないまでも、かまってちゃんは欲しがりはするものの、相手に与えない。
だから嫌われるのかも知れない。

もう何年前かは忘れたが、駅前に続く通りにホームレスの女性が現れた。
年齢はよく分からないが50歳位かと思う。
小柄で痩せ型の顔の小さな人だった。
木製の大きめのベンチに一人、ちょこんと座っていて、彼女の持ち物の入った手提げ鞄が置いてあった。

この平凡な街でも時々ホームレスが現れる。
そしていつの間にかいなくなる。
川の橋のそばで暮らしている人達がいるので、そこへ行くのかと思う。
橋の下は自然に生い茂った木々があり、何か干してあるような様子が見えた。

しかし、そうして住んでいるのは男性しかいないようで、彼女がそこへ行くのは良いことでは無いと思った。
彼女は小鳥のようだった。ベンチでうつむき加減にジッと座っていた。来たばかりなのかと思った。

実はそのベンチは、街の一風変わった人達が過ごす定位置だった。
どうやら会社勤めには向かない感じの人や、ブラブラしているが、綺麗な家に住み、働かなくても家族が面倒を見ている様子の人やらが集まって仲良く話をしている、そんな場所だった。
不快な感じは無く、誰も気にしていない。
騒がないし、夜には帰る。ただいつも晴れた日にそこにいるのだ。

数日後、小鳥さんは彼らと話をしていた。
ベンチに一緒に座って世間話をしているらしかった。

また違う日、彼らのいない日に小鳥さんは駅前を箒で掃いていた。
この後も、熱心に駅前を掃除をしている所に出会った。
そして誰か来ている時は、ベンチで話をしていた。

ある日、私は地元のお寺に参拝しに出掛けた。駅からは少し離れているが、駅前から繋がった商店街が静かに店を開けている。
昔からある蕎麦屋や、和菓子屋、果物屋などだ。

山門から本堂に向かうと、小鳥さんがいた。
私達の他に人は見当たらず、静かだ。
小鳥さんは箒で境内を掃いていたが、小さな顎の尖った顔で微笑んで『こんにちは。』と言った。
私も『こんにちは。』と返した。
そして私はそこを離れた。

彼女の何かしたい、と云う気持ちの現れかも知れない。
そして、(本当はこんなじゃないんだ)と思っている気がした。
何かついていない事が続いてしまったのだろう、そう私は思った。

それは強がりとは違う、今の自分に出来る事を見つける作業をしているのかも知れなかった。
今考えてみると、小鳥さんは、知人のKさんが働くスーパーに出没していた男と真逆な感じがする。

小鳥さんはあの不思議な街の面々にも受け入れられ、商店街の店主達も彼女を悪いようには思っていないようだった。


寒い日、誰も友人達がいない時、服を着込んで彼女はベンチに座っていた。
寒さに耐える様に身体を縮ませる様に。

そんな様子を何度か見た。掃除をしてはいなかった。
寒さが増してきていた。

それから小鳥さんを見掛けなくなった。
何処へ行ったのか?

でもこれまでも、ホームレスはいつの間にかいなくなっていた。

バス停にいる老人にお金をせびって、警官に追い払われた中年男もいたりしたが、この男も何処かへ消えてしまったりした。

彼女のいなくなった後も、あのベンチの面々はそこで暖かい日中は過ごしていた。

小鳥さんは何処へ?

またもう少し、続きます( ´ー`)






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