犯罪者に対して厳しすぎる件(#厳しすぎる刑罰#犯罪者の人権#日本人の行き過ぎた同調圧力)
はじめに
Yahoo!ニュースで「拘留所は『3密』不安訴える声」というニュースが発信されました。拘留所で「3密」を避けるべきかということで、Twitterでは、コメント欄で賛否の声が上がっています。これについて、考えていきましょう。
否定派の意見
否定派のほうが多いようなので、否定派の主な主張から見ていきます。
収容者は 悪いことしたんだから 仕方ないですね。
そもそも何故そこに入ってるのさ!
そもそも拘置所に入る人がゼロだったら感染の可能性もゼロ
刑務所の予算だって削れるし法的機関もヒマになるし最高
刑事事件の被告ってそれなりの証拠があって裁判所から令状が出たとか現行犯逮捕とかじゃないのか
他人の人権奪いながら自分の人権主張するとか草
拘置所入らないようにするのがベスト
法を守り、苦しい自粛を続ける多くの人の安全より、法を犯す様なモラルの低い一部の人権を主張する弁護士…。
新規(言い方わからん)の人だけ検査すれば?
元々いる人、2週間以上いる人は必要ない。
PCR検査キットも有限だから必要ない人はやらなくて良いと思う。
し、家族らの面会を制限するなどの対応に人権侵害って、病院でもその措置してるけど、病院も人権侵害してるってことなんですかね?
死刑にする手間が省けるね
やはり、悪いことをした人に対しては、厳しい意見が多いようです。たしかに、悪いことをした人に対して優遇措置をとるというのは、直観に反していて、否定したくなるのもわかりますよね。ただ、僕のツイートの選び方がよくないのかもしれませんが、少し過激な意見が多いように感じます。なぜ、拘留者の人権は無視してもよいかという点について明確な理由が述べられているツイートは僕が見る限りは見当たりませんでした。
肯定派
続いては肯定派の意見を見ていきます。
有罪確定するまでは、法的無罪扱い
「悪いことしたんだから」「受刑者だから」という声があるが、拘置所は有罪・無罪確定してない人が入るところだから、受刑者でもないし、冤罪者だって入ることも多い。確かに人権配慮は刑務所より必要かも。ただどうすれば良いかは、、、
中には冤罪が存在するのも事実
有罪確定まえなので、一般市民とほぼ同じ権利がある
彼らの人権を守れるかどうかも、日本が文明国かどうかの重要な判断基準だろう。
自己責任だけ追求してると社会は地獄になる。もうなりかけてるけど。
刑務所と拘置所は、区別はしないといかんな。ただ3密を辞めると、脱走を試みるヤツがいるから、難しい所もある。大阪での脱走を思い出した。
一部、肯定派か否定派か区別がつきにくい部分もあるが、刑務所と拘留所の区別をすべき、という感じだろうか。また、冤罪の人もいるのではないか、という死刑廃止の時に出る意見も同様にでました。否定派の行き過ぎた主張を冷静になだめている印象が僕には感じられました。
記事内容の理解について
ここで、以上のツイートおよび議論が、記事の内容を正確に反映しているかという点を見ていきたいと思います。
結論的にみると、記事はこのように締めくくられています。
法務省は先月27日、医師や専門家らの意見をもとに、全国に283ある刑務所や拘置所、少年院などに特化した新型コロナ対策のガイドラインを策定。職員の公共交通機関の利用を控え、自家用車で通勤する▽仮眠室や執務室などの定期消毒を実施する▽収容者の運動や入浴の際、1回当たりの人数縮小で収容者間の距離を確保する▽新規の収容者は単独室に14日間入れて毎朝夕検温する――などの対策をとるとしている。
法務省は、刑務所や拘留所少年、少年院に特化したコロナ対策のガイドラインを策定して、コロナの感染を防ぐための対策をするよう促しています。
「拘留者の人権」とひとまとめにするのではなくて、拘留所などでのマスクの配布や予防措置の徹底をできる限りすることで、拘留者のみならず職員の安全を確保するという意味合いもあるのです。
以上の点を考えると、肯定派もツイートも否定派のツイートも、記事内容を明確に理解せずニュースの見出しから受ける印象だけでコメントをしているように思います。
Twitterでのコメントについて
否定派・肯定派の両者とも、犯罪者に対する人権という点に関しては、深く理解がなされておらず、議論も平行線をたどっているというのが現状だと思います。
では、犯罪者に人権はあるのか、という点に関して、以下で僕の意見を述べたいと思います。
では、犯罪者に人権はあるか
僕は、犯罪者であっても基本的な人権はあるという立場です。なぜなら、犯罪者は相応の罰を受けているのであって、それ以上の苦役を与えるべきではないからです。
詳しく述べていきます。
まず、犯罪者が受けるべき罰の程度を考える必要があります。なぜなら、犯したことへの罰や償いは、犯したことの程度で決めるべきだからです。これは自明のことと捉えていいと思います。極端な例を挙げるとすると、万引きをした人全員が死刑になってもよいか、ということです。犯したことの重大さに応じて刑罰の重さを考える必要があるということです。
その罪の重さが真っ当であるのなら、その罪以外の部分においては、一般の人々と同様の権利はある、ということです。
ここで、いくつか反論を考えることができると思います。例えば、刑罰は罰を与えるという意味だけではなく、罪を償い反省をさせるためのものであるため、一部の権利を与えないということも必要だろう、という反論、あるいは、現行の刑罰が軽すぎるために刑罰とは別の制裁が与えられるべき、という反論です。
これらの反論に対しては、ここでの議論においては、現行の法律や裁判によって下った判決の範疇での話、ということを理解いただきたいです。というのは、犯罪者の人権という問題を考えるときに、現行の刑罰の欠陥については、議題とは離れてしまうからです。また、刑罰とは罪を償い反省させるという議論については、公的な制裁を与えるという観点から考えると、現行の刑罰の重い軽いを考えることと同じであろうからです。つまり、大麻の合法化や飲酒運転の厳罰化などを考えることと、犯罪者の人権を議論することとは切り離して考えられるということです。
また、肯定派の意見の中に、冤罪の可能性もある、という主張があるが、これも同様に、冤罪の可能性と犯罪者の人権は、理論上切り離して考えることができるということです。冤罪は起きないという過程のもとで議論することができるからです。ただし、冤罪やばれていない罪の問題を犯罪者の人権の問題と関連付けて論じることもできると思います。例えば、冤罪の人もいるからあまりに人権を軽視した刑は廃止すべきであるとか、再犯罪率が高い犯罪に対しては、より罰を重くすべきだ、ということです。
まとめ
Twitterでは、肯定派・否定派ともに、納得のいく意見が少ないように感じました。原因は、記事内容が深く理解されないまま各自が直観的に思ったことをつぶやいているだけだからではないかと思います。
これに対して、僕自身の意見を上で述べました。刑罰の範囲以上の制裁や権利はく奪などは、望ましくないのではないか、ということです。それは、犯罪者も人間であり、刑罰の範囲を超える権利の侵害は公正ではないと思うからです。
またこの議論に付属する内容として、死刑廃止や大麻の合法化、過度な社会的制裁の是非、なども考えられるかなと思います。
以上
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