コロナ自粛開けで経済活動を再開すべきか。

はじめに


「#コロナ自粛開け」がTwitterでトレンド入りしています。現時点では(4月27日時点)緊急事態宣言は5月6日まで効力を持つとなっています。今後、どの程度まで経済活動は再開されるべきでしょうか。ここでは、議論命題の細分化をすることで、議題を明確にしていくと同時に、議論のあり方について考えていきます。


そもそも、経済活動を再開するとはどういうことか


そもそも、「経済活動を再開する」というときに、経済活動とはどのような個人・企業の活動をすることを指すのか。この点に関しては、以下のような疑問・議題が考えられる。


・休業しているサービス業の営業を再開することなのか?

・個人の移動を制限しないということなのか?

・そもそも企業活動は政府の自粛休業要請に従って休業しているのか、需要の低下により企業が自主的に休業しているところもあるのではないか?

・現時点で個人の移動はどの程度制限されているのか?


いずれにせよ、経済活動の再開とは、個人の行動というよりも、休業を要請されているサービス業などが営業を再開するということを指すのだと考えていいと思います。そのような営業の再開について、どのような業種・業態は、いつから営業を再開させてもよいか、ということが議論の対象になるのだろう。


緊急事態宣言が出されている以上、どのような経済活動をも再開させるべきではない。今まで以上に自粛すべき。(経済的側面からの自粛肯定派の意見)


コロナに対する不安から、緊急事態宣言が出されている間は、今までと同様またはそれ以上の自粛をすべきだと考える人も多いだろう。感染者数が増え、死者数も増えていることは事実であるし、自粛を緩めることで医療崩壊を招いたり、コロナによる死者が増えることは多くの専門家が指摘している。コロナによる実害という観点から、自粛を続けるべきという主張は強固であり、多くの人がそのような考えを持っていると考えられる。


一方で、緊急事態宣言がでていても、過剰に自粛をする必要はない、と考える人もいるだろう。特に、非科学的で効果の薄い自粛が広まることで、経済の減退を招き、生活困窮者や自殺者、うつ病などの精神疾患を患う人が増えると考えると、ある程度の経済活動は必要だろうという主張にも合点がいく。


それでは、いつからどのような自粛は緩和されるべきか、どのような業態はそのような議論をする際には、非科学的なことや事実とは異なる感情的な決めつけによって理由付けを行ってはいけない。例えば、自粛を緩和すれば死者が増えるという際に、緩和しないことで死者が増えるのではないか、あるいは不幸な人が著しく増えてしまうのではないか、という点に関しても、コロナによる不幸とも同様に扱う必要がある。


経済活動は人々の暮らしに密接にかかわっており、緊急事態宣言が出されていようが、必要な経済活動については直ぐにでも再開すべきだ。(経済的側面からの自粛否定派)


コロナ不安による自粛は確かにコロナを抑えるのに効果を上げるかもしれないが、非科学的で非効率的な自粛をいつまでもしていては、職を失った人々や収入の減った人々に甚大な被害を与えてしまう。そのような考え方も一方にはあるだろう。そのような立場の人々は、どのような自粛は効果が薄いのか、どのような自粛は非科学的なのか、という疑問に回答しなければならない。未知のウイルスに対して、科学的な知見を広めることは、不安を解消すると同時に、経済再開の必要性を人々に知らしめるだろう。


こちらの立場の人々もどうように、決めつけではなく、論理性・科学性をもって、相手の間違いをしてきするべきであろう。ただし、人々の不安を軽視しすぎててはならない。コロナウイルスの不安がぬぐえないというのも事実として人々を不幸にさせるからである。


営業を再開してもいいか、また、その基準は、医療崩壊を招かないぎりぎりのラインなのか、感染者数が数人程度まで極端に減がったときまでなのか。科学的な知見を見ていくのと同時に、自粛を緩和することで増える不幸と減る不幸を天秤にかけ、どの程度の不幸なら許容できるかということに関して、議論が必要であろう。このような議論を経て、両サイド(自粛緩和派と自粛強硬派)の意見を総合して自粛の緩和については妥協点を見出さなければならないと考える。


私権が脅かされるため、過度な自粛要請はすべきではない。(私権という観点からの自粛否定派)


自粛要請の効率性という立場から自粛の再開を求める意見があるのと同時に、人々の権利や自由という観点から自粛の再開を求める意見もある。


すべての人々には、根源的な権利があり、緊急事態においても制限されるべきではない項目があるはずだ、という意見である。また、付随的にだが、私権の抑制は国家権力の暴走に歯止めをかけられなくなってしまうという意見も出てくるだろう。この意見に対して反論する場合は、権力の抑制が憲法や民主主義によって守られるという根拠を示す必要がある。


この意見に対する反論としては、国の一大事には国民の団結により苦難を乗り越えるべきであり、一部の私権が抑制されるのは仕方がないという見解が考えられる。


実家に帰ること、買い物に行くこと、運動をすること、お店の営業をすること、これらの権利は、緊急事態時でも各自の判断によって行われるべき行動って、国家のみならず、一部の国民による過度な批判や罵倒は行われるべきではない、というのである。


このような主張をする人たちは、コロナ蔓延や医療崩壊という国家の非常事態を助長しないという論理的な根拠を提示する必要があるし、その他の権利(コロナ感染を助長するなど)を侵害するような行動を正当化するには、自身の権利がより高尚だという根拠を示さなければならない。


勝手な行動により、自粛ムードという空気づくりを乱してはいけない。私権よりも倫理観を醸成することが大事。(倫理観という観点からの自粛肯定派)


私権の重要性と並行して主張されることは、国の緊急時に勝手な行動は許されないという意見だろう。コロナを抑え込むという国家の一大目標のために、国民は一致団結すべきであり、自粛無視など言ってはいけない、自粛という高尚な態度をとるべきだと主張されることもあるだろう。国家から決められたから自粛するのではなく、我々の倫理観・道徳観に基づいて自粛すべきなのである、と主張されるかもしれない。


この意見に対しては、自粛ムードの醸成がどの程度コロナの抑制に対して効力を発揮するかという根拠を示す必要があるのと同時に、「~~などとは言ってはいけない」「これはしてはいけない」というときに、なぜそのような制限がそれらの言動の自由よりも大事なのか、という正当化根拠を示す必要があるだろう。


まとめ


コロナも経済も目には見えない。だからこそ、自分の目に映ることや考えうることにしか目がいかなくなり、他人の意見をはなから間違っていると思い込んでしまう人もでくるだろう。


しかし、そうではなく、相手の主張の事実性と正当化根拠を詳細に理解し、自分の中に落とし込むべきだろう。肯定派・否定派の両者が妥協できる点を少しでも見つけることができれば議論は成功したといえるはずだ。


自粛再開の問題は、経済的観点と権利・倫理観という観点の両面から総合的に議論されるべきであろう。






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