2007~2008年頃のボヘミアンの話

2007年12月8日オープン。
その当時、SNSはまだmixiしかやってない状態ではあったがmixiを通して友人などにオープンを伝えていたので、オープンした月としてはわりかし売れた記憶がある。
友人・知人・身内などオープン祝いみたいな感覚でみんな来てくれるわけだ。

渋谷という立地の人通りがそこそこある通りの2階に店舗があった分、看板を見て入ってくれるお客さんも少ないがいた。
渋谷の店舗を知ってる人がいたら、なかなか怪しい佇まいに来店を躊躇したことがある人もいるだろう。
その怪しさが魅力的だった人もいるだろう。

ちなみにこの当時はまだウェブサイトはない。
ウェブサイトができたのは2008年の2月頃。

店舗内でクレジットカードもまだ使えない状態で、現金のみでそこそこの売上。
嬉しかったなあ。
自分では月の売り上げの予想を毎月立てるのだが、当時ではその予想を上回った。
まあそれもオープン月だからなだけで、翌年2008年以降なかなか厳しい現実を目の当たりにする。

その当時は定休日というものはあったがなかなか変則的で、第二木曜と第四木曜の2回のみ。
しかしながら休むことが怖かった。
休んでる時にお客さんが来るんじゃないかと。
売れる機会を損失するんじゃないかと。
だから月2回の休みの日は雨が降ると安心していた。
雨が降ると人が出歩かないから。
まだ20代後半だったから、休みなしで営業しても良かったのだが、前職の上司から休みはとれと釘を刺されていた。
結局、第二第四木曜休みも2年くらい続けていたがそのうち木曜定休日が確定した。
なぜ木曜が定休日となったかと言うと、オープン後2週間休み無しでお客さんの入りが少ないのが水曜と木曜だった。
どちらを定休日にしようか考えてカレンダーを眺めていると、木曜が祝日になることは1年を通しと少ないとわかったので木曜が定休日となり現在に至る。
営業時間が12~20時になったのも、渋谷に人が多く滞在する時間がその辺りだったのでそうなったまま、根津の店舗でも同じ営業時間となった。

2008年に入ってから現実はなかなか厳しいものがあった。
ホームページやウェブサイトもなく、お客さんをよべる要素は外に出した看板のみ。
看板も手作り(今もだが💦)で今と比べると酷い。
たまに来る人は入り口まで来て引き返す。
なので当時どのようにしてお客さんをよんでいたかというと、mixiを使っていた。
mixiにはボヘミアンのmixiページなるものがあり(現在も更新している)、自分のプロフィール欄に記載しておく。
そして片っ端から足あとを残す。
そうするとmixiでは当時、足あとを自分のマイミク以外の知らない人からつけられると誰だろ?ってなぐあいにプロフィールを覗いてくれる人が多かった。
そこからガラスに興味がある人がボヘミアンのmixiページに辿り着くという宣伝を行っていた。
これは正直多大な効果があり、今で言ういいね👍を片っ端からつけたり、片っ端からフォローしたりするのに似ている。
これで売る上げは取れていたが、俄然ギリギリの綱渡り状態。
初年度はどの月にどれくらい人が渋谷に来るのか等まったくデータがない分、手探り状態で不安のまま過ごしていた。
しかしこの当時はまだまだボロシリケイトガラスアートの存在を知らない人が、多かった分希望はあった。
そしてなぜかボヘミアンは続けていける根拠のない自信はあった。

しかし、ながらその言葉とは裏腹に深夜のバイトもなぜか探していた。
駅前で無料で配布されていたバイト情報誌をよく見ていた。
売上やばくなったらバイト掛け持ちで、営業だけは続けていこうと思っていたからだ。
結果的にはボヘミアンをやりながらバイトをすることは無かったのだが。

しかし、売上がゼロの日が当たり前のようにあった。
来客ゼロもあった。
(今もあるけど💦)
でも今とは比べ物にならないほど酷かった。
ヒマで時間だけはあるから、掃除したりmixiで遊ぶ残したり、雑務したり。
やること無くなってくると不安が襲ってきて、店の中とグルグル歩き回る。
なかなかの奇行だ。

救いは向かいに渋谷では有名なピアスのお店があって、そこに務めていたお兄さんと仲良くなり、よく話していた。
10才以上年上の人で、知識がある人で話していてすごく勉強になることが多く、気晴らしにもなった。

それからこの当時、友達からくる飯やお酒の誘いをすべて断っていた。
ズバリそんなお金はないから。
しかしながら断れない集まりなんかもあり、行ってみると飲み代が5000円とかいったりすると、今日の売上が全部この飲み代で無くなったって悲しく思うことがあった。
こういった交際費はよく売上に考えたらペンダント○個売れた分と一緒だなと考えることがよくあり、そういった気持ちになることが数年続いた。
個人事業主なら誰しもが考えたことがあるのではなかろうか。

こうしてギリギリの状態を保ちつつ、一年が過ぎていくのであった。

つづく

サンペイ

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