味方さがし

バイトを1ヶ月足らずで辞めた。
割と初期の頃から社員の態度や全体の雰囲気が気に食わなかったが、もうそれが限界に達して辞めることにした。

私は今までどんな環境にも順応できることに対して自信を持っていたし、時にはそれが受け身の証明のように思えてつまらないことだとも感じていた。
しかし、やっぱりそんなことは無かった!
私が嫌だと思う世界や人間は存在する!

退勤後に怒りが抑えられず、休憩室にいたまだ一度も喋ったことも無いアルバイトのお姉さんにいきなり「私やめますから」と言って帰った。
そんな突拍子もない宣言を聞いてくれたお姉さん含め、仕事を教えてくれたまた別のお姉さんなど職場には優しい人もいたが、私には異常に見えるこの環境で長く働いてきたわけなので、結局彼女らとて一緒に気持ちよく働くことはできなかっただろうと思う。

辞めることを伝えるにあたり、私は社員や店長に嫌われていることを知ったが、嫌われるという形で辞めることは人生史上初めてのことである。
しかし、嫌われることは、なんて明白に自分の進むべき方向を示してくれるものなのだろう!
自分は自分自身をいまいち突き抜けたところのないふにゃふにゃな人間だと思っていた。だから言われるがまま、指図されるがまま動けるのだとばかり思っていた。しかしどうやら違うようだ。
嫌われるということは相手が思い通りにならない、気に食わない何かを確かに私から感じているということで、それはどこにでも誰にでもすっと溶け込んでしまうような親水性の高い人間ではないことを意味する。
(もっと激しく言えば、私は奴隷ではない)

決して強がっているわけではない。
私は私の中に何か軸のようなものが形成されつつあることが嬉しいのだ。
あれもこれもまあいいや、ではなく、これがいいあれがいい、これは嫌だ、という主体的な選択ができる。

正しいことや良いことは相対的なもので、私やあなたが正しいと思うことをやっていけば良いのである。それが他人に理解されず嫌われても自分が心地よい場所を見つけていけば良いのである。
少なくとも私は自分が好きだと思える人間が集う場所でないと仕事をするのは到底無理だ。
みんなが信頼し合えたなら、助けあう気持ちも生まれ、仕事もますます捗るのは当然の結果ではないだろうか?

でもやっぱり味方は多い方がいいことには変わりなく、この世界が少しでも私に力を与えてくれるように、私はこれからもあれこれに首を突っ込み、自分自身の血と骨にするため容赦なく吸収していく。通称味方さがし。
私は味方さがしをしていた。これからも味方さがしを続ける。

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