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鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑩

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

鹿島槍天狗の鼻での雪崩遭難について(細井久栄氏見解)(その1)

気象状況と五名の行動
1.12月30日朝の気象状況
 経過報告で示されているとおり、鹿島槍登頂を目指していた5名、鈴木迪明(以下 大鈴)、鈴木弘ニ(以下 小鈴)、小谷明(以上3年)、清水善之、藤原荘一(いずれも1年)の5名は、1955年12月27日、雪のない天狗尾根を登り、最後の急斜面を越えて中間点である天狗の鼻の円頂上で幕営した。 その晩から寒冷前線を伴う低気圧による降雪が始まる。

 翌12月28日と 29日は、終日吹雪で停滞、29日の晩には大量のドカ雪になる。 30日の朝、深い新雪で埋まっていた。

 天狗の鼻におけるこの日の朝の気象状況について大井正一(註)は、12月27日から1月3日までの天気図に基づいて、次のように述べている。

 「30日朝9時に低気圧(寒冷前線)が通過し、前日までの猛吹雪がいったん小康状態になったが、夕方に再び猛吹雪になった。」

 この記述は、小谷明ら5名が天狗の鼻の幕営地でその朝経験したとおりである。 吹雪はおさまったが雪はシンシンと降り続いていて、濃霧のため視界はほとんどなかった。 大井正一の記述にはないが、小谷によると“深い霧で視界が5メートルもなかった”ということから、この朝気温が下がっていないのがわかる。

 前夜のドカ雪の後、吹雪が一旦おさまり静かに降り続く降雪の下、気温が下がらないまま幕営地の周辺には大量の新雪が積もっていた。 視界は、濃霧のため先の見通しは全くなかったのである。

「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑨」から

「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑪」へ

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