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鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑪

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)⑩」から

鹿島槍天狗の鼻での雪崩遭難について(細井久栄氏見解)(その2)

12月30日の行動
(1)大鈴以下4名デポ地に向かう
 吹雪がおさまったので、大鈴は、天狗尾根の途中のデポ地点まで訓練の意味も兼ねて物資の回収に向かおうと提案した。 この山行は、極地法登山の訓練も兼ねていた。 この時点では、誰も、途中雪崩に遭遇する危険性については認識していない。 “周囲の地形と気象状況を見て雪崩を予知する”という、基本的な知識がなかったのである。

 小谷によれば、テントには充分な装備、食料があり、その朝デポした物資を回収せねばならない必要は全くなかったという。 大鈴の提案は、物資の回収というよりは訓練(ラッセルによるトレーニング)が目的だったと言えよう。

 大鈴、小鈴、清水、藤原の4名は、大井の言う前線の通過後の小康状態を見てテントを出発、遅れて小谷が後を追ったが、濃霧のため先行する4名は全く見えない。 追いつくのは無理だと判断してテントに戻り、彼等の帰りを待つことにした。

(2)小谷遭難現場を偵察し新雪表層雪崩の跡を確認:本格的捜索始まる
 出発した4名の帰りを待つ間に、小谷は彼等の降っていった方角を偵察、テントを出てすぐのところで、新雪表層雪崩の跡を確認している。

 4名は戻らず、小谷は1月1日、天狗尾根を下山、途中デポも含めて人の通った跡、遺留品などの痕跡は一切発見できなかった。

 既に下山していた東尾根隊の小峰顕一らと合流、東京に急を知らせた。 直ちに舟橋明賢(OB)を隊長とする捜索隊が大町に急行、昭和電工の大川澤事務所に本部をおいて、本格的な捜索に入った。 この経過は、記録に基づく冒頭の報告通りである。

 1月4日からは、大町のガイド星野貢氏らの参加を得て、天狗尾根を徹底的に捜索、1週間にわたる捜索の結果、4名が天狗尾根を降った痕跡が無いのを確認して、舟橋は捜索を打ち切った。

 捜索は徹底したものであって、ほとんど可能性はないものの万全を期す意味で、荒沢の天狗尾根登り口より先の大川澤上流まで捜索の範囲を広げている。 捜索の過程で、小谷は星野を連れて天狗尾根上部から、天狗の鼻頂上直下東斜面での雪崩の跡を彼に見せている。 星野はこれを見て、4名はテントを出てすぐに新雪表層雪崩に巻き込まれたのではないかと示唆していた。 この示唆を根拠に、学習院大学新聞は「やはりマカリ澤か?」の見出しでこの情報を紹介している。 小谷、星野による情報は、かなり早い段階で、広く伝えられていたのである。

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