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鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉖

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

 中高年も含めると膨大な数にのぼる今日の登山パーティーの山行で、リーダー、メンバーがともに豊富な経験と知識を持っている例は殆どないと思う。

 そのような経験、知識ともが不足な多くの登山パーティーによって遭難が発生した場合、その原因がリーダーあるいはメンバー個人の過失から来るのはごく普通のことである。 それに対して全て法的措置を取るという状況は、可成り異常と考えられる。民事についても同様である。

 「倫理的責任」は、誠意ある謝罪によって果たすのが最も適切であって、本来、法的措置にはなじまないと思う。

 遭難ではないが、責任感についてのリーダーの姿勢と誠意をはっきり感じることの出来た事例を紹介したい。

 昭和32年の秋山合宿で南八ヶ岳の赤岳から北八ヶ岳の北横岳まで部員10名で縦走した。北八ヶ岳に入ってから、麦草峠を経て雨池に降ろうとしたが道を見失い雨池にはたどり着けなかった。夜遅く途中で幕営することになったが、翌日又、大岳から亀甲池に出るところで藪漕ぎを強いられ予想以上に時間を取られる。その結果、下山が予定より一日遅れた。

 大河原峠から蓼科温泉降る途中休憩したところで、リーダーの大場隆(故人)が、「申し訳なかった。おれのミスで下山が遅れ、皆に迷惑をかけたことをお詫びする。」と、メンバー全員の前で頭を下げて謝罪した。その時の彼の率直な姿勢は、気持ちよく爽やかだった。

 リーダーとしての責任の重さを自覚し下級生たちの前で謝った彼の誠意は、聞いている我々にはっきり伝わったのである。このリーダーなら信頼出来ると感銘を受けたのを、今でも覚えている。

 深い反省に基づく誠意を感じられる謝罪は、常に自らの行動に責任を持つという普段からの姿勢がないと、付け焼き刃になる。誠意の感じられない「倫理的責任」の取り方では、いたずらに問題をこじらすことになりかねない。

 鹿島槍の雪崩遭難では、形式的責任は言うまでもなく「倫理的責任」の所在もはっきりしているが、それを負うべきリーダーは犠牲者である。 2015年12月八ヶ岳阿弥陀で、5名中2名が犠牲になった学習院大学山岳部の遭難は、雪崩ではないが、リーダーとメンバーの一人が帰らぬ人となった。

 このような場合、戒めるべきことは、遺族の心情に対する配慮で、再発を防止するための原因の解明を放棄することである。

「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉕」から

「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉗」へ

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