鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉗
学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫
交通事故であろうと、鉄道事故であろうと東北大地震の津波による事故であろうと、そこには遺族がいる。 しかし、誰もが認めるのは、事故の起こったところでは、その原因の解明はあたり前になっているということだ。 目的が、同様の事故の再発を防ぐことだからである。 遺族の心情を傷つけたくないという理由で原因の解明を放棄してはならない。
交通事故であれ、一見自然災害としか思えない大地震による津波事故であれ、そこに人災の側面があれば、必ず事故原因の解明が進められねばならない。 場合によっては、関係者から独立した調査委員会が設置されることもある。 再発防止を目的に、事故の発生とその原因の解明は不可分なのである。
登山における遭難だけを例外にしてはならない。
これが普通になれば、登山の遭難で犠牲になった故人を悼み、その遺族の心情に配慮しながらも、原因の解明は淡々と進められるようになるであろう。 その結果、鹿島槍の雪崩遭難のように、既に故人となったリーダーに形式的責任とは別に実質的責任もあることが明らかになった場合には、何らかの形で原因についての解明の結果を遺族に報告すべきである。
責任者が既に故人である以上、グループの関係者(この遭難では、OBOGの組織する山桜会)が、解明された原因から学んだことによって、遺族への説明とともに遭難の再発防止のための行動を具体化することになろう。 それが、故人に代わって倫理的責任を果たすことになるのだと思う。
登山の遭難をロマンにしてはならない。 故人、遺族らへの心情への配慮や感傷に動かされて、遭難の原因解明の試みを放棄してはならないのである。 遭難は、遺族にとっても残された者にとっても、ただ悲惨である。 その悲惨さを真剣に受け止め、同じような過ちを繰り返さないための原因解明には、本来感傷の入り込む余地はないのであろう。
故人の「倫理的責任」は、遭難の原因の究明とその結果を踏まえた再発の防止という形で、残されたた関係者、OBOGらが取ることになるのだと思う。 それが、この遭難での唯一の「倫理的責任」の取り方ではないだろうか。
「鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉖」から
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