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悪を求めないで過ごすこと

ひらやまさんが正しさについてnoteを書いていたので、逆に「悪」について考えてみました。

「悪」というと直感的にマイナスなイメージがありますが、人は深く考えないとどこかに「悪」を求めてしまうのではないかと思っています。何が悪かを決めることで安心することができるからです

誰が悪なのか、何が悪なのかを決めることで、何を攻撃すればいいのか、何のせいにすればいいかが決まります。それにより自分がやるべき(と感じる)ことが見えるので、不安を解消することができます

逆に、何かを悪としないことは、結構コストがかかることです。「あの人は悪意があるわけではない」「あの組織が害を作ろうとしているわけではない」と考えることで、その不満の解決のために背景や仕組みを詳しく知る必要が出てくるからです。

個人的には、後者の方がだんだんと心を健やかにしてくれるのではないかと思っています。別に何か高尚な心を持つべきだ、というよりそっちの方が楽じゃないですか、みたいな感じですね。

でも、このことは問題がセンシティブであるほど難しくなりがち、、、なの悪を求めない方法を出してみました。

・勉強する
...勉強するとそこに悪意がないことがわかったりします。自然な人間の欲望や性質のせいで発生していることがたくさんあることがわかります

・自分の感情を客観視する
...仮に悪を求めた時に、「なぜ自分はここに悪を求めているのか?」「そもそも本当にあの人を悪いと思っている?」などを振り返ると、落ち着いて考えることができます。

・自分の認めたくない感情を認めてあげる
...他人に話したら嫌悪されそうな感情などを自分が持っている、ということを自覚する感じです。そうすると、純粋に悪意がただある、ということを他人に対して思わないようになるのではないでしょうか。

ここらへんは滅入っている時もなんとか忘れずにいたいものです。

***cotree advent note***


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