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ヒモ生活

1,ダイソン

今朝。柱に立てかけたダイソン掃除機を、ちょっとした弾みで倒したまでは良くある話なのだが、このダイソンのヤツときたら、横にあった障子を、正に舐めるようにして倒れていったため、結果、障子紙を破きながら、その一番下の横骨を壊してしまった。瞬間、「グシャッ!」と音がして振り返った次第。
私はアメリカ人ではないけど、ついでに都会人でもないのだけど、この時ばかりはなぜか「オーマイガッー!!」と叫んでしまった。

とまあ、今回の記事をなぜこの話から始めたのかと言うと、私は今、毎日ヒモ生活をしているから、が出発点。今月の丸一ヶ月、持っていた有給休暇をすべて使わせて貰って、会社を休んでいる。
「奥様いってらっしゃいませ」
妻を送り出したあとは、特にする事はない。それが毎日。
そこで夕方帰宅した妻に喜んで貰おうと、毎朝、掃除機をくまなくかけることにした。その今日は4日目というわけだ。進めて言うと、今回の事件に際する背後要因はこれです、ここです。
「ヒモおとこの家事」

横骨が折れた事を認めた途端、それは一瞬だけど死にたくなったし、すべてが嫌になった。だけどその3秒後には、何とかして取り繕わなくてはとの焦りが、急速に脳を満タンにした。確かに帰宅した妻に何を言われるか分からない。妻はいわゆる「鬼嫁」だからである。
その後、横骨を接着剤でどうにか貼り付けたはいいが、さて破れた障子紙はどうするべ。フーッと深呼吸し、私は雨の中、やおらウッドデッキに障子を運びだした。障子枠を雨にうたせるがままに放置し、濡れた障子紙をすべて剥がしたのは、勿論「明日は晴れだから今風のプラスチック障子紙に張り替えようと思って、今日のうちに剥いでおいたのさ」という口実を夕方のたまうためである。冷汗三斗(れいかんさんと)の思い!
主婦ならぬ主夫の私は、慣れない毎日に右往左往しながらも、それでも一ヶ月丸々休めるなんて、自分の人生で最初で最後のご褒美なのだろうからとありがたく使わせて貰っているのだが、実際の所、爪の先ほども社会や家庭のためにはなっていない模様である。

2,「斜陽館」巡礼の旅

事情もあって私は早めにコロナワクチンを受ける事ができた。既に一回目を終え、二回目は今月6月19日を予定している。注射とは何の関係もないが6月19日は、私の私淑している太宰治の桜桃忌である。
さて、君は太宰文学の中で、何が一番お気に入りなのだろうか。私は最近「思ひ出」を2回読んだ。太宰の小説はなべてその出だしが良い。文頭がステキ。この「思ひ出」もぐっとくる。
そんなわけだから、「思い出」の主たる舞台、青森県五所川原市にある斜陽館(太宰の生家)は、私のような太宰教信者にとっては聖地なのである。謂わばメッカ。いつか聖地巡礼と称して行ってみようといった考えがここに帰結するのは、至極自然。
恋人のいた昨年などは、この女を連れていけたら、昼は斜陽館を巡りながら太宰の幼少期を追体験し彼女に説いて聞かせ、夜は女の身体をまさぐりながら、奔放で放蕩な太宰と、男の度量もあそこも小さな自分をダブらせたりなどしたら楽しいだろうに。などと、艶っぽい夢想をしていた事もあったけれど、すでにあの優しかった彼女も、私の元を去ってしまった。
(私がしていた、人目を避けての婚外恋愛という事実は、思えば氷が溶け、水が蒸発してなくなるという単純なものではない。これからもずっと彼女の心の重荷になっていくのだろうと思うと、甘い妄想どころではない。彼女に申し訳ないことをしてしまった。強い自責の念に私はとてもつらい。。)

さてどうしようか、今年こそは行こうか。
斜陽館!私の場合、間違いなく一日ずっと居ることができますね。行こうか!よし、行こう。

3,徘徊癖(見出し写真参照)

noteの自己紹介にあるとおり、私は、種田山頭火よろしく、いつも町のあちらこちらを、独り徘徊し続けている。若い女の下着の洗濯物が軒下をひらひらと舞う、いや、それは今時めったにないけれど、そこかしこ洗濯物と布団が干されている晴天の昨日。娘がヤンキーだったとき乗っていて、今は私のものになっている、2スト原付スクーターに乗って、いつものごとく、所定てやつね、街の小道をあちこちウロウロと徘徊してみた。

「庚申」こうしん、と読むらしい。この日の徘徊した中で、私の触覚に触れたのはこの庚申塚なのである。徘徊エリアには2体見つけられた。
さすがに驚きはしなかったけれど、なぜこんなものがここに?とその存在を不思議に思った。そもそも辞書を引くまで「こうしん」と読めなかったのもあるが、単なる「○○先生顕彰碑」とは異なった存在感をもっている。この字が何を意味しているのかが分からない。
帰宅してグーグル先生に聞いてみたけれど、それでもなんのこっちゃかよく分からなかった。ただ江戸時代に建立が広まり、明治以後は迷信教として疎まれ、その多くが壊されたけれど、地方に於いては旧街道沿いに未だ残っている箇所もある、とのこと。こうして壊されずに令和の今も現存している事に感慨を持ちつつも、壊されず今も堂々とある事実が、「どんだけ田舎の度合いが強いのかここは!」とあきれ果ててしまってもいる。東国の僻隅にして、石塚と地蔵と顕彰碑とそして庚申塚で、街道が半ば埋め尽くされんばかりの田舎町。でもスタバは3店舗あるんだぞ。