2回目の「東京裁判」を観た。
1,ほぼバカになりました。
今年のコロナ禍下でのお盆、みなさんどう過ごされましたか?僕は昼寝していました。ずっと冷房かけて、ずっと昼寝してました。だって三人の子供たちと二人の孫、姪とその子供、誰も帰省してこないんだもん。結果、ほぼバカになりました。二桁の引き算が暗算で出来なくなりました。ただお金は余り遣わずにすみました。
2,映画「東京裁判」を観て勉強した日
お盆の最終日、つまり昨日16日の朝4時頃目覚めて(おじいちゃんだから早起きなのね)、寝過ぎてどんよりとグレーの霞のかかった己の頭の中身に、「おれバカじゃね?」、はっと気づいて、あわてて何かせねばとネットを広げ、「勉強しよう!」イベントなどを探りだしたのである。
調べていくと、町の映画館で「東京裁判」が上映されていることがわかり、早速観ることにした。
さて、この4Kデジタルリマスター版は昨年の夏に公開され、その時に僕も見に行ったものであった。ところが最近、NHKスペシャルで、「ドラマ東京裁判」を観て、それは昨年映画館で観たそれとタイトルは同じだけど、あまりに趣を、視点と言ったほうがいいか、とらえ方が違っていたのである。NHKは東京裁判そのものではなく、オランダ判事レーリンクを中心とした「戦争を裁く判事たち」をめぐるドラマなのであった。で、「再現ドラマ」なのね。
一方の小林正樹監督、ナレーション佐藤慶、音楽武満徹なるこの映画版は、ドキュメンタリーフィルムである。4時間37分、途中休憩が映画の一部として設定されているのも面白い。戦争に至った経緯、特に中国大陸での権益拡大、いわゆる総力戦として官軍民一体となった戦争、そうして原爆と敗戦。歴史の事実すべてがフィルムに盛り込まれているのである。
この映画で貫かれていたテーマはいくつかある。まず、いわゆる「A級」とは何であるのか、「平和に対する罪」であるのだか、ニュルンベルグ裁判で作られた「その法律」は事後法であり、それを以て太平洋戦争を、少なくとも開戦の責任を個人に問えるのか、パリ不戦条約は侵略戦争は違法としたが責任者処罰の規定はない。ヒトラーのドイツとは明らかに異質な戦時体制であることもある。だからと言って放置すれば戦後の民主主義日本の再建に禍根を残すのではないか、それが主として問われていたのであろう。また弁護側にとっては、アメリカとの戦争へ突入した国家の政治そのものを弁護するのか、そこに関わった指導者たちの個人弁護をするべきなのかが焦点となっていたといえる。また戦争を企てた過程において、日本指導者たちに「共同謀議」があったのかも重要なテーマである。
3、戦後75年、僕は思う。
考えさせられる映画であった。そうして僕は家に帰ってある本を思い出し引っ張りだしてきた。昨年読んだ、小林よしのりの漫画「いわゆるA級戦犯」である。
小林よしのりはよく勉強しているというのがその時の読後感だったのだが、こうして映画を観て帰宅したタイミングで再読してみると、どうも彼は戦犯たちの人物像(人柄)だけを重視し過ぎて、読む側の情に訴えているところがここかしこ見えて気になる。この本には「日本にA級戦犯などいない」とおどろおどろしい帯が巻かれているが、こうして小林正樹監督の映画を観て帰った僕には、それもまた首を傾げざるを得ない。東京裁判の被告たち、A級戦犯たちの実相は、戦争に向かわざるを得なかったやむなき事情があるにしても、戦争中、国内外問わず、敵味方問わず、多数の無辜の命を失わせ、でなくとも何百万の命を軽んじていたのだと断言するに間違いない。この小林よしのり人柄重視は戦犯たちの人命軽視を恣意的に隠しているのではないかと疑ってしまう。パル判事の意見書の極端な美化もそうだ。ただ確かに一部A級戦犯の被告に科せられた量刑に?の余地もある、例えば文官の広田弘毅の死刑、逆に嶋田繁太郎の終身刑などには、後世に生きている僕には、量刑の根拠を確認してみたいという余地が残るのもたしか。
でもここで僕がいいたいのは、彼ら指導者は、殊に非常時における国家指導者たちは、平時のそれとは責任の度合いが違うということだ。日本だけを見ても、彼らの命令で310万の国民が死に、中でも以前から僕が書いているように、140万の下級兵士が、戦闘によらない広い意味での飢餓による死(餓死)、30万人が輸送船とともに海没死、(藤原彰、吉田裕)等を強いられたのだから、その責任は余りに重い。
この映画「東京裁判」の感想とはずれてしまうが、僕は思う。A級 戦犯だろうがそうでなかろうが、戦前の指導者たち、彼らを僅かたりとも美化してはならないのであって、別に貶めろと言っているのではないが、つねに批判的に解釈していくのが僕ら後世の市民がとるべき道なのだと確信する。小林よしのりの描く、人物像を以ての酌量はここでは許されない。なぜなら、戦争に駆り出され、前線で死んでゆく下級兵士たちは、言い直せば僕ら市民そのものだからだ。平時の僕は戦時では一兵士の僕だから。
この映画のラストでは東京裁判後の様子が映し出されている。朝鮮戦争、東西冷戦、ベトナム戦争、などだ。果たして「A級戦犯、平和に対する罪」を負わなければいけないのは誰なのかと言うことだ。こうして後世に生きる僕たちは一つの事だけは言えるのではないか。本当のA級戦犯は米国でありソ連(ロシア)であり中国であり、つまり東京裁判で裁いた側の連合国ではないのかと、今言えるのは、彼ら大国はなぜ今、裁かれないのかと。日本に戦犯などいない、ではなく戦前の日本も戦後の米国ソ連、現代の中国に至っても、みんなA級戦犯なのだ。平和に対する罪を犯し続けている。そう言いたい。
お薦めです「4Kデジタルリマスター版 東京裁判」