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津軽 3 金木

こんにちは、女の人のお尻を叩くと、さらに1.5倍大きくなる、ちくわ会長です。でも名の通り、芯は空洞でふにゃふにゃです。

えーと、なんの話だったっけ。

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「ああっ!」

太宰治の生家、旧津島家邸宅を目の当たりにして、とうとう来たか、という強い感動のあまり、私は赤面とともに逆上し、ブルブルと全身が震えてしまい、そして「ああっ!」と言う声を発した瞬間、ズボンのなかで漏らしてしまった。つまりちびっちゃったのね。感極まった女がやっちゃう所謂「潮吹き」ね。

1,筑摩書房版「太宰治全集」

思えば19○○年の4月、地方の高校を卒業して、大学受験に失敗した私は、次年度に賭けるため、とりあえず横浜大黒ふ頭にある会社に就職した。少し経ったある日、休日と言えば街を彷徨するしかない私が、なにげに寄った横浜有隣堂で見た「太宰治全集配本開始」の貼り紙。ビビビと来て以後、1冊数千円も払って太宰全集全12巻を揃えたのだが、その行為自体が、あの頃のひとり都会に埋没していた自分にとってまさに生きている証だった。毎月だったか、隔月だったかの配本を、それだけが楽しみで生きていたのである。今も、だけど、あの頃も一人ぼっちだったので、他の作家ではなくて、どうしても「太宰治」でなくてはならなかったわけだ。つまり、「青春の書」だったわけである。
そんな太宰文学だけど、不肖、私こと「ちくわ会長」、この年齢になっても未だ卒業できずにいる。女々しくて、いつもうじうじと悩み、それでいて集団の中に入ると虚栄心ばかりが強く、人には笑って貰おうとばかり下品な冗談を言って却ってひんしゅくを買い、部屋に戻って、その日の失策に、またグズグズする。そうして後年になると、死んだ前妻を思って、一年中めそめそと、牛の胃袋のように、反芻させてはいつも泣いている。そんな自分をあぶり出してくれる太宰文学。そんな自分といつも帯同してくれる作家太宰であったし、今も気持ちは変わらない。
全集を揃えた頃から、太宰治を師として私淑する事、ン十年の、初老を迎えつつある私にとっての集大成が、この度の津軽旅行なのである。私はとうとう青森県五所川原市金木にある太宰治の生家に来たのだ。ちびるのも至極自然。

2,金木町にて

私はちびっていたけど、なおかつ泣いていた。つまり上も下も洪水になってしまったのだ、ビチョビチョ、女の子みたい。皆にはこの感動が分かるだろうか、もう絶対離れない、この町から出ない。ここに住む。ただ、三味線の音色は余り好きになれそうにないから、やっぱ見学だけにしとく。
乗ってきた津軽鉄道は、もそそも「走れメロス号」。車内いたるところに有名な一節がプリントされて貼られていて、さすがの私もゲップがでそうになり、ちょっと閉口してしまった。すっかり観光客を呼び込むおかずクラブになっている。また斜陽館の道路向かいにある三味線会館や観光物産館もあるにはあった。私のように勝手に太宰研究者を自認するものからすれば、ちょっと観光地化されすぎと眉をひそめたくもなるけれど、そうは言ってもこの東北の辺鄙な田舎の、大きな収入源になっていることを鑑みれば、我慢の範囲内かも知れない。 ただ物産館も閉店、雲祥寺も見学お断りだったので、コロナ禍のなか運営がいかに厳しいのかを察せられる。ただ地域の観光業の方には申し訳ないが、私には、町にうろうろしている観光客がほとんど居らず、斜陽館もかなり空いているのが見て取れて、心の中では小躍りするくらい嬉しかった。静かに見学できるのが一番。
10時に金木駅に着き、10時半頃には入館、12時半まで2時間。2時間は意外に短いようで長い。舐めるように(笑)、しっかりと見させて頂いた。嬉しくて、ずっと半分なきべそになり、指先はぶるぶると震えていた。
太宰の真似して、お酒を飲んでくれば良かった。
その後「太宰治、疎開の家(新座席)」も拝見。

3,追記

このあと、写真を交えた金木での記事をアップしていきます。読者におかれても、私の余りの感動に共感して、鼻血やら小水やら、いろんな汁を出すかもしれません。が、しばし、お付き合いください。