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逆、石田三成「三杯の茶」

近江長浜城主であった羽柴秀吉が、鷹狩りの途上寄った寺で茶を所望したところ、応対したるは石田三成。はじめはぬるくたっぷりと、二杯目の茶は熱さも程よくお椀に半分ほど、もう一杯求めたれば、高価な小茶碗に熱い茶をわずかに入れ差し出したという、所謂「三杯の茶」の話は、一説にはほぼ実話であるとのこと。
時代も所もついでに身分も変わって、至極庶民な私の、ちいさな職場に置いてある大きな自販機には、缶コーヒー等の一般的ビバレッジと共に、「濃いめのカルピス」がセットされていて、秀吉翁ならずとも、ちょっと甘いもの所望するときなど、140円で頂くことができる。

しかし、しかし、だ。濃いめのカルビスは、確かに、すごーく、濃い!

そんなある日、私の仕事着のポケットから半分はみ出た「濃いカルピス」のポットペトル、間違えた、ペットボトルを、日頃から私が特に可愛がっている舎弟のSがすかさず見つけ、石田三成宜しく良いアイデアを提供してくれたのだ。
「会長(私)、濃いめのカルビスってガチに濃いっすよね」
続けて
「飲みたいと思う濃さの三倍ぐらい濃いっすよねえ」
「いい方法があるんすよ」
「大体そんな自販機には水ペットが売っているでしょ、それを同時に買うんです。」
濃いのは果たして三倍なのかの実相は不明だし、そもそも秘策を問うてもいないのだけど、そうして水を買うとSが言った瞬間に、答えはすぐ想定できたのだが、まあせっかくなので話を聞く。
「いいですか、まず頑張って濃いカルピスを一口飲み、そこへ水ペットから足していくんですよ」
そうすると、段々飲みやすくなるとのこと。
確かに全くその通りで、しかも一瞬だったけれど、私も、うむ、流石、秀吉の官房長官たる三成に似て、Sも大した男じゃ、長浜城につれて帰り召し抱えようか、でも。
ん?逆じゃね?
あのね、一杯目、二杯目、そうして三杯目、ぬるくなりはしないけれど、段々希釈されて、味も薄くなり、そのうちある一線を越えてしまう。ここで言う一線とは、おいしいからまずいに変わる境界、ボーダーラインのことだ。そしてそのボーダーラインはまことに人それぞれ、甘味の境界は不明瞭で何ともいえないが、急激にまずくなるラインが存在する。薄いカルピスがまずいのは自明の理。
もう少し掘ってみると、一口目でいきなり濃い味を舌に覚えさせてしまうとその記憶が鮮明に残り、飲み進めるに従って、次から次と飲んだものはどんどん薄くまずく感じてしまうのでは、とも想像に難くない。
「ダメじゃん!」
そう思った私は吹き出しそうになるのをこらえて
それでも舎弟の自尊心を壊さないために言葉を選ぶ。
「逆ね、逆にね。つまり、逆石田三成ね」
「そうそう、そうなんですよ会長」
逆石田三成たる私の舎弟Sは、どうだいとばかりの泰然自若たる様にて、大物の悪寒が、微かにだけど、するのである。
そこで私は質問をする。
「段々薄くなっちゃうし、どこかでおいしくなくなっちゃう境目がくるでしょ?」
彼答えるに、
「そう、そこが大事、その境目は、疲れ具合てことっす!まずいって感じたその時のカルピスの濃度が、つまり疲れ度、疲労度を示しているんですよ」
続けて、
「つまり、会社の施策的に言うと『見える化』てことね、数値化というか」
質問に対して何だか的を得ていないけれど、少し唸らせる、不思議な答えが帰ってきた。

さて、せっかくのアイデアなのだが、希釈されたカルピスがまずくなる恐怖から、私は未だにその案を採用せず、濃いカルピスを濃いまま、濃いなあ、すげー濃い、と呟きながらときおり飲んでいる。

追伸
若者たち!スマホゲームやってんじゃねえ、勉強しろ!