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疲れ果てて

戦争

はな、語弊ある言い方かも知れないが、どの部族が国の実権を掌握するかの内戦と称した小競り合いをしている、どこかの後進小国ではないのである。実にヨーロッパの自由主義国家ウクライナが、歴史的経緯いきさつはあるにせよ、巨大な隣国ロシアの軍事力によって一網打尽に打毀うちこわされている。
グローバル化によって政治経済文化が国家を形骸化している、この現代社会において、よもや先進国で戦争など起こりうる可能性など皆無だと誰もが思っていたにもかかわらず、しかも世界の平和に責任を持つ安保理常任理事国が当の侵略者だと言う事実が、歴史を無力化しているのである。

そんな時局の下、蟻のような私が、ヨーロッパの戦争をテレビやネットで対岸の火事よろしく窺ったのちに、こうしてnoteのエディター画面に向かっても、平和ボケした脳天気な日本人たる自分を感じるのみで、このあとエッセイの何を書こうが、すべては空虚で無益で野暮天なことなのかを意識し、ただただ空しいだけだ。
まさに今必要なのは他愛もない閨事ねやごとよりジャベリン(アメリカ軍供与の歩兵携帯型対戦車ミサイル)なのに。

読書

西村賢太「苦役列車」
西村賢太「小銭をかぞえる」
西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」
梶井基次郎「城のある町にて」の何回目か
川端康成「伊豆の踊子」
そして現在は西村賢太「二度は行けぬ街の地図」を読んでいる。

西村賢太

2011年、彼が芥川賞受賞に際して受けていたインタビューを、私は確かにテレビで見ていた。「いやあ電話掛かってきたとき、そろそろ風俗に行こうと思っていたんだけど」など答えていて、その時に一笑しつつも私の記憶回路に残った。
次に彼を見たのは2018年、Eテレ「知恵泉」である。太宰治のしたたかな人生を巡った回で、作家の室井佑月と一緒にゲスト出演していた。「私小説なら書けるんですよ」と答えた西村に、アナウンサーが「自分のどこが気に入ってるんですか」と聞き、彼が答えて曰わく「顔、ですね」。隣の室井佑月が思わず吹きだしたのである。私には寧ろこの時の西村の印象が強い。
先日、彼の訃報を聞くに及んで、こうして彼の本を読み出したのである。

川端康成

その西村賢太「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、川端康成文学賞にノミネートされるかどうかの経緯が書かれていて、文中、西村はあやかり一心だけで川端康成の本を一冊買ってくるのであるが、それを読んでいた私も何だか気になって、川端康成翁の本が書棚にあっても良かろうと、一冊を買ってみた。ちなみに私は、以前から近代日本文学の本を買うなら「ワイド版岩波文庫」にあればそれを、と心がけていて、今回もネットで古本を探し「伊豆の踊子、他」をみつけ買った。
代表作「伊豆の踊子」を読み始めた印象は、川端康成は「話が、だりぃ(だるい)」のである。巨匠には失礼ながら、文章に抑揚がなく淡々としていてかったるい。西村賢太の後だからなのだろうが、だるくて数頁読んでいやになり、一端は本を閉じてしまった。ところが、ややあってまた気になり再読を始めた私なのだが、今度は不思議と読んでいてもだるくはならず、却って比較的平易な言葉で綴られた文のなかに、なんとも叙情を誘うような、深い言い回しがちりばめられていて、一気に読み終えてしまった。坂口安吾や上の西村賢太の如き、過激で無頼な言葉など、まるで皆無、しかも外国語に翻訳したら一思いに消えてしまうような日本語独特の言葉の隙間に、その場の情景を投影させる宝玉を埋め込んだような、美しい文章が続くのである。私はすっかり川端康成の文章と柔らかな文体に魅せられてしまった。

そして私の手

とある極寒の日の朝。会社への出勤のため車に乗り込もうとする私。エンジンを掛け一端外に出る。
目を挙げると、雪国ゆえか冷たくどんよりとした薄黒い雲が埋める空がある。そこに向かって、私は自分の双手をぐっと前に伸ばしてみた。まずは手の甲を見る。日々の疲労と老耄とで重くなった双の腕の、その先にある黒ずんだ血管の浮き出た手の甲を見よ、皺で澱んだ五指の関節を見よ。次に手をかえして、思い切り広げた双の掌を眺める。思えば、私が生まれてじきに死んだ母親の、一時いっときだけど乳房を掴んだであろうこの手。自死した前妻の首に食い込んだ洗濯ロープを、必死になって包丁で切り落としたこの右手。また数年前などは、不倫とは言え、愛した女の、興奮で濡れた小さな下着を引きずり下ろそうともがいていた、そんなこの手も、今や朝の冷気に晒されてか、老いて血流が愚鈍になったのか、かじかんだ指はぎこちなく関節を動かす。鉄塊を扱う仕事からか、乾燥と酷使で指先の皮膚が割れ、いつまでも治癒しないそこに、日々の汚れが入ってズキズキと痛む。
さて、このまま会社に出勤して、今日も一日、職場の若者に怒鳴り声を浴びせられるかもと怯えながらも、この双手は圧搾空気の工具を握り続けなくてはいけないのだろうか。

ああ、こうしよう。今日はもう休もう。
私はすっかり疲れてしまった。本当に疲れてしまった。