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野坂昭如の語る「火垂るの墓」

1,はじめに
僕は野坂昭如「火垂るの墓」がとても嫌いである。好きなんだけど嫌い、なのである。
小説でもアニメでも例の三宮駅構内のシーンから始まるのだけど、それが出てくると、もうたまらない。涙腺崩壊などという低レベルの哀しみではない、胸の奥がギュッと締め付けられ、ギュッギュッとマジに痛くなる。開始1分でもう見ていられない、つらい。無理!

2,朗読CD
さて、会社の始業前や昼休み中は、スマホに入れた音楽を聴いて過ごしている僕なのだが、時々は音楽だけでなくてCDからダウンロードした朗読小説を聞いたりもしている。まあ、ここでも毎度の太宰治や梶井基次郎、たまに宮沢賢治といったあたりなのであるが。そこにはなぜか「火垂るの墓」も入っていて、本当によせばいいのに、たまにその最初のセンテンスを聞いてみては、「うわあ、だめだ、やっぱりキツいわぁ、ちょっと無理ぃ」とぶつぶつつぶやいては別の小説や曲に変えてしまうのだ。
先日のこと、そんな朗読「火垂るの墓」の出だしはつらいけれど、最後のあたりはどうだろうと、8ファイルに分割されたそれの最後の章を聞くことにした。
するとどうだろう。実は朗読の終わりは、その前、7センテンスにあって、その時聞いた8センテンスは、作者野坂昭如がこの小説をみずから語った声が入っていたのだった。これは意外だったと同時に、胸も苦しくならずにすんなりと聞くことがでいた。
戦争孤児たちが戦争直後に置かれた、ただただ悲しい惨めな生活を描いた、ではなくて、野坂自身がすごした実体験と、小説として書かれたものとの、謂わば「乖離」を語っていて、僕にとっては大変興味深いものだった。
そこで野坂の口述を文章化し、読んで見ることにしたのだ。

3,野坂の語る「火垂るの墓」
野坂はこの語りを通して、小説上の兄「清太」がきれいに書かれている事を繰り返し挙げている。優しいお兄さんは、それは小説の中で自分を飾っている虚構なのだけれど、当時あった現実の兄たる自分と大きく違っていること。そうして小説上の兄の存在が自分自身に槍のように刺さるのだと、激しい強い自責を繰り返し語っている。妹や家族に食べさせるための食料を、自分が奪って生き延びた事への負い目から、食べ物のない子供たち、飢えた子に食べ物を与えられない母たち、という目前の事実が戦争云々よりも一番悲しい哀れなことなのだと訴えている。また妹を死なせて生き延び、こうしてその話をきれいに描き、小説にしてお金を得ている、そんな今の自分自身へのギャップに苦しんでいると独白しているのだ。
僕はこの野坂昭如の語りを聞いて、また起こした文章を読んで、あらためて戦争は恐ろしいものだと、それがもたらす人々の飢餓がまことに恐ろしいのだと強く感じた。野坂は特に戦争自体を意識してはいないと語っているが、間違いなく人々が戦禍に翻弄されたあの時代を切り取って描いているのだし、現代もまた相も変わらず未だ戦争がウクライナで続いている事の、ばからしさ、悔しさ、みたいなものも読後感として得た。

4、野坂の語りを僕が文章に起こしたもの
よかったらどうぞ。

野坂昭如「火垂るの墓」を語る
(火垂るの墓は) 私小説と言う体裁をとっているけれど、書いている内に、公開されることを前提に書かれた日記と同じように、自分の事をそのまま上げて書いているのではなくて、ずいぶん自分を飾って書いている。だから僕はこれが(火垂るの墓)読めない。読む度に当時の事を思い出すというのもあるし、それから自分自身を飾っている事の卑しい気持ちもあるし、やはり死んでしまった妹に対する哀悼の気持ちというのか哀れさが誠に生々しく、きちんと本当にありのままを書けばよかったのかもしれないけれど、自分を飾っているだけに飾っている部分の虚構の部分で、それは小説なんでしょうけれど、その部分が僕自身に槍のように突き刺さってくる。特に戦争と言うものは考えなかった。肉親というかあの場合には(小説の中では)血がつながっているけれど僕の体験で言うと血はつながってはいない。で、人間の営みの中で僕自身も養子だったけれど妹も養子だった。六月五日から彼女が死んだ八月二十一日というその間、ほとんどまともに食べられるものが食べられなくて死んでいった、特に亡くなっていった時のすがた形を目で見たとき、僕の人生観というものは大きく決められてしまったと思う。その(体験の)上で僕の小説は成り立っていると思う。その体験をきちんと書かないで(小説では)僕自身を大変甘やかして書いている。あのお兄さんは優しい。けれど僕はあんなに優しくなかった。妹の食べるものを僕が奪って食べて生き延びたという事の方の負い目の方が、戦争とかなんとか言うよりも遙かに僕個人にとって大きな負い目というと大げさだけど、普段僕なんか大変調子よく生きているだけだから、自分だってほとんど忘れてはいるわけだけど、年に何度か思い出すわけ。僕は食い物についてはやや意固地なくらいにいろいろ言っているのも基本的には腹の減った子供、赤ん坊。それほど哀れな存在はないわけだし、さらに哀れなのは腹の減った赤ん坊を抱えてしかも食べ物を与えあれない母親の悲しみと言ったもの。僕は自分で産んだわけではないからわからないけれども、小説という形で、嘘をついたために逆に深い傷になって僕の中に残ってしまう。本来ならば僕はもっと残酷な兄貴だった。で、残酷な兄貴であることを逃げて小説を書いて、その小説によって僕は稼いでいる訳で、またアニメになればお金が入ってくるかもしれないし、それで僕は贅沢をするかもわからないし、二重三重に鬼畜米英といわれて
いた相手から家畜の餌をいただいて僕は生き延びているわけだし、一方においては、自分自身が、食べるべきものを、養えるものをかっぱらって生き延びながら、かっぱらった相手を小説というものに仕立ててまた金を稼いでいる訳だし、しかもあのときにあたかも自分がそうであったかのごとき主人公を設定して自分を甘やかしているとか、そういった自分の営みの負い目を今ここで直面しなければならない感じで言うと、僕にとっては苦痛なのだ。だけど物書きというものは、そういう苦痛に直面せざるを得ないのだと思う。その挙げ句の果てに大げさに言えば気が狂った例えば自殺したり緩慢な自殺を選んだりするのも致し方ないという気がする。

おまけ
見出し写真は、僕か若い頃、何回か泊まった横浜のバンドホテルです。もうありません。

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