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今の私

1,

3年ほど前だったろうか、これはまだ私が親会社の社員だった頃の話である。
その頃、私が日々働いていた大きな建屋たてやの床面を改修する、大規模な工事が行われた。はじめのボーリングによる地質調査会社から始まって、いくつもの外部業者が入り、それは概ね半年ほど掛けてなんとか竣工に至った。その工事で最後の作業はと言えば床面の塗装だったのだが、そこには若い兄ちゃんあんちゃんと、中年から高齢にかかっている、正に私と同世代と思われるおっさん、の二人が来ていた。
横で繰り広げられている彼等の床塗装作業を時々ちらちら見ていた時のこと。現場の隅の方であんちゃんとおっさんが何か言い合っていた。私の目には当然ながらおっさんが親方で、あんちゃんが使われている側だと見えていて、正にあんちゃんが親方に叱られている構図、だと思っていたのだ。
が、その時、やおら兄ちゃんが手をあげた。
「ぱちん! ぱちん!」
おっさんの頬を2回ほど叩いたのである。
あんちゃんが親方だったという、私の先入観と正反対の強烈な出来事に、叩かれてもいないのに、見ていた私も思わず「あたたー」と頬をさすってしまった。そしてハラスメントが問題視される現代日本、その田舎の片隅で、何かやらかしたのだろうとは言え、年寄りが若者に頬をぶたれているんだという目前の出来事に、厳しい世の中の片鱗を見てしまった気がして、そのすさまじさに、そのあと私は、すっかり落ち込んでしまったのである。

2、

時は今。
私はその親会社からすれば孫請けにあたる小さな会社で肉体労働をしている。6人で構成される作業班の一番下っ端である。
先日の事、私より年長のおっさんが休んだ。下っ端である私はそのおっさんの仕事を「代わりにしなければいけない」という義務感から始めた。他の作業者が削った製品を治具で計測し、大きな鉄枠の箱に入れる謂わば「下働き」である。それは、私には「下働き」であって新人の私がやらなくてはいけないものと思い、必死に製品を鉄枠に並べ始めたのだ。
と、途端に!
「ガシャン」「ガシャン」。
背中の方で、ものすごい音がした。
若い作業者が放り投げた製品(鉄塊)が、私の足下の床に落ちた音だ。
ん?激しい音に彼の方を振り向いた私に向かって、彼は怒鳴りつけはじめたのだ。
どうも私のしていたことが、私にとっては下働きであっても、彼にとっては、箱に製品を並べるなどというのは、それは「軽作業」であり、あとで手のあいた者がすればいい、寧ろ削る事こそ大変でそれをすべきなのだ。お前はなぜ削らないで製品を並べているのだ、逃げたな、と思われたようだ。
激しく面罵された。

ここで私と気の短い若い同僚の、作業についての認識ズレを話すわけでもないし、ましてや愚痴る気もない。ただその時ギュッと心が萎縮したのは、10年ほど前は親会社の中で25人ほど部下のいた私も、今やこうして孫会社で若い作業者に怒鳴られながら、背を丸めて肉体労働をしている、そんな激しいギャップのせいだ、捨てたはずのプライドのせいだ。そしてこんな作業場での摩擦が頻繁にあり、それでも生活のために毎日出勤して働かなくてはならないという現実なのだ。
若い同僚がキレて投げた鉄の塊が私を直撃しなくて良かったけれど、それ以上に、上に書いた床塗装業者のおっさんのように、ぱちんぱちんと叩かれなくて良かったけれど(叩かれたらやり返すので)、こうしてそっと自分の頬を触り撫でながら、この職場でこの仕事を続ける限り、安寧の時間や場所などはないな、と改めて思う次第なのである。また同時に、些細な摩擦から逃げたくなっている自分がいて、それでもそんな意気地のない自分を叱責しているもうひとりの自分がいて、という二人の自分の内包に気付かされているのである。