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沢木耕太郎「天路の旅人」

今年は運がよいのだろうか、1月のある日の夜、リビングに設えたコタツに首まで埋まりつつ、見るともなしに見ていたNHK。ニュースが終わり、始まったクローズアップ現代。なんとそこには沢木耕太郎が出演していたのである。
おおっ!
途端、私は飛び起きてテレビの前まで走り(と言っても三歩くらいだけど)18才で初めて行った生麦ストリップ劇場のとき以来、久々のかぶりつきで、番組を食い入るように見た。

そこでは沢木の新刊「天路の旅人」を基に、その主人公、西川一三(かずみ)の旅の足跡とその後の人生を紹介しつつ、沢木本人の考える人の生きを主題として桑子真帆アナウンサーがインタビューするというものだった。

私の知っているのは、終戦直後に忽然と姿を眩まし、時には僧侶、時にはニセ医者として中国大陸を転々としながら、自らの戦犯訴追を逃れ地下活動をしていた辻政信だけであり、辻の著「潜行三千里」をとても面白く読んだ覚えがある。
終戦当時、内蒙古からチベットインドへ諜報部員として潜行し放浪したもう一人の日本人、西川一三がいたという事を知り、大変驚いている。

番組で桑子真帆のインタビューに、沢木は西川一三の生涯から二つの大切な事が見えていると強調している。まず西川のした旅は、前半は軍の諜報員としての使命があり、その後終戦を知っても旅行を終えることなく金銭的庇護のないまま、それでも放浪の旅を続けていたという事実。そこからはソロ、つまり一人であるという、後ろ盾がなくたったときにこそ、人間は真の自由を得るのだという確信を得た事だ。
そうして、帰国ののちその旅の記録を出版してからの彼が、偶然得た化粧品卸という仕事を一年364日、ただ淡々と寡黙に続けていたというもう一つの事実。それは何かを追い求めるのではなく、目前の与えられた仕事をひたすらこなし続けるという西川のもう一つの生き方、それはまさに「足を知る」事、自分を律する事だと、本来の無頼とはこのことを指すのだと、強調していた。
前半の「旅と自由」というメルクマルと背反するような後半の話で、あれ?と思って、それでも番組を見ていると、最後に沢木は言う。

「やっぱり、僕なんかよりもコロナに対してすごく制約を受けた若い人たちが自由になってほしいと思う。『深夜特急』という本を書いた時、読者に向かって最後に1行書いたんです。「恐れずに。しかし、気をつけて」。
今僕は逆に、「気にをつけて、だけど恐れずに」って。失われた何年間を経た若い人たち。彼らが気をつけて、でも恐れないで、そして自由を広げていってくれる。そういう1年になればいいなと思います」

そう。西川や沢木が旅をした時代と現代社会はシステムがまるで違う。一個人への制約も強い。
毎日淡々と仕事をする、でもそこに埋没する事なかれ。そう沢木耕太郎は言っていたと、番組をみたあと私は理解できた。
つまりは、上に言う「気をつけて、だけど恐れずに、自由を広げよ」なのだ。

番組が終わって、ため息混じりに再びコタツに潜り込んだ私だったけど、Amazonで「天路の旅人」Kindle版を速攻でポチったのは言うまでもない。
また余談だが、沢木耕太郎の「深夜特急」はそのKindle版を繰り返し読んでいる。文庫本も持っていて、旅行の際には2冊ほど鞄に忍ばせる。
余談の余談だが、一度はハワイへ行く途上、飛行機の座席に付けられたモニターが壊れていて、エンターテイメントを見ることができなかったけど、ずっと「深夜特急」を読んでいて、CAさんが申し訳ないと丁重に謝りに来た時、「大丈夫、これ読んでるから」と表紙を見せた、なんて事もあった。
そうして気づいたのだが、私は「深夜特急」のハードカバー版(単行本)を持っていない。なんだか物足りなくなった私は、翌日、早速近くのブックオフに行ってみた。こんなサルに占領されたような田舎町、まさかないだろうとそれでも本棚を見回すと、普通に三分冊とも並んで揃っているではないか。しかもほぼ新品、一冊220円。沢木先生には申し訳ない値段だったが、もちろん速攻買った。店を出て、目の前で拳を握り、ひとりガッツポーズ。
余談の余談の余談だけど、番組の中、沢木耕太郎にインタビューする桑子真帆の目は、好きな恋人の話を熱心に聞く彼女と言っ体(てい)の、キラキラ輝いたそれだった、ような気がした。「沢木さん大好き!」って顔に書いてあった、ような気がした。