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思ひ出

1、先日のこと。

なんだか高性能のワイヤレスイヤホンが欲しいのではないか、そんな気がする、という暇つぶしの理由を無理やり見つけて、私は近くのショッピングセンターに出掛けた。売場では、あれやこれやと見たものの、流行りものなのかイヤホンの種類の多さに圧倒され、これと言ったものが絞り込めず、まあネットでお勧めを調べてまた出直そうと、ひとまず帰ることにした。田舎のショッピングセンターに良くある、屋上階に造られた駐車場。そこに置いた車に戻ろうと、売り場階から傾斜のついた「動く歩道(オートスロープ)」に乗った。
そのとき。
3、4才くらいの男の子が「ぎゃあああ」とも「うわあああ」とも判別つかない奇声をあげながら、私の脇を走り抜けていったのだ。
私が振り向くと後方に一人の男性がいたので、てっきりこの方の子供かと思い、まあ今時だから、この男児は声を上げてはしゃいでいるのだなと思ったのだ。ところがスロープの向こうにある駐車場へ走って行った男児は、そこにいたガードマンらしき初老の男性に「あぶないから」ととめられていた。「どうした坊や?」「もしかしてお父さんお母さんとはぐれちゃったのか、そんなら少しおじさんのそばにいなさい」と諭されて、その子はやっとすすり泣きまで収まり、と、私の前にいたおばあさんも「ああ、迷子になっちゃったんだあ」と話していた。
ここでやっと、この男児が単に騒いでいたのではなくて、必死に泣きさけんでいたのだと、目前の様子が理解できた私だった。
ただ理解できたこの刹那、私は猛烈に胸が締め付けられて苦しくなり、茫然自失、少しの間ガードマンと男児の近くに佇立してしまったのである。
「うわああああ」と、悲鳴とも叫びとも奇声とも泣き声ともつかない男児の先ほどの必死な声が、そのとき私の耳から胸の奥に刺さってしまったのが正直な要因だった。
私には、子供が発する必死の泣き声は、とてもつらい。

2、苦しかった時のこと

車に戻ってシートに座ると、二度と思い出すまいと決めていた遠い昔の、つらかった日々のことを思い出してしまっていた。 
妻が死んでしばらくして私は再婚をした。早くこの残された子達に次の母親を、との必死な思いだった。しかし私が連れていた二人の子供は、なかなか新しいお母さんに受け入れてもらえず、私に向けた二つの顔と四つの瞳はいつも悲しいそれだった。
それだけではないのだ。二人の子供の表情をわかっていながら、母に厳しく叱られていた娘をかばうことなく、むしろ母を怒らせている娘になぜか苛立ち、私もまた妻の怒りに同調させていたのだ。そう、私と二人の子は新しい妻となり母となったこの女性に、そうしてもう一度新しく作る家庭に、何としても迎合しなくてはいけなかったのだ。もう失敗は許されないという、そんな焦り。
そんな私と妻の前で、時にひどく泣き悲しい目を向ける娘と小さな息子。
その時の光景が私の脳裏に焼き付いてしまって、今でも子供の泣き声を聞く度にこうして蘇ってくる。胸をギュッと締め付けてくる。(そしてまさにここでこうしてダラダラと文を書いては、今更ながらの懺悔をしようとたくらんでいる、このクズ男の私)

3、時が経って

そんな私の連れていった二人の子供たちも、すでに30代も半ばになって家庭を持っている。一方で妻の連れてきた娘は家庭を持つことなく、今に至っている。
そんな私の妻をして「あたしとっても幸せだよ」とつぶやかせているのは、他でもない、私が連れて来た二人の子供なのである。この子達には合わせて三人の子がいる。つまり「ばあば」になった妻にとっては、まさに文字通り目に入れても痛くない可愛い「孫」たちがいるのである。ばあば、ばあばと甘えてくる子に目を細めながら抱き上げる妻。

時間(とき)は必ず過ぎる。
そんな、歪みのあるぎこちない生活をそれでも何とか過ごして行く内に、昨日が今日に、今日が明日にと言うように、日が日を追い、月が月を被せ、年が年を重ねていき、その後には、こうして孫を抱くという大きな幸せが私と妻にやってきたのである。死んでしまった私の最初の妻は、おそらくは今頃、あの世で少し悔しがっているのかもしれない。そんなことも考えてみたりする。
こうして私と妻に最上の幸せをもたらせてくれているこの子供たちを、彼らが小さかった頃、もっともっと大切に育ててあげられなかったのだろうか?もっと言うと、この子たちが小さかった頃、私も妻もどうしてこの子たちが、何十年後かに、いずれ私たち老夫婦を幸せにしてくれる筈なのだという想定を、なぜできなかったのだろうか。そんな事ばかりを考えているのである。

ああ、先ほどの子供は無事に親とあえたのだろうか。そんな事を思いながら深くもたれたシートから体を起こし、エンジンをかけた私だった。