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首里城で鎌倉芳太郎

先日、妻を連れ沖縄へ旅行に出かけた。
朝一の新幹線で東京へ、11時の飛行機で沖縄那覇へ。2時に那覇空港。送迎バスに乗りレンタカー屋さんへ。3時過ぎには那覇の街へ出発。沖縄そばなど食べて、夕方には予定通りホテルに身を置く事ができた。改めて日本の交通システムの正確さに感心する。
さて翌日。沖縄も今回で18回目なので特に観光地に行くつもりはなかったのだが、いや待て、ここだけは、今どうしても、と向かった先は、、、

1、首里城再訪
週末はあいにくの曇り空だったけど、2019年秋に消失した首里城正殿の、所謂「今」を是非この目で見たくて、レンタカーを走らせた。
当然ながら御庭(うなー)からの有料区域内には、正殿をすっぽりと覆うほどの巨大な建物ができていて、その中で天井クレーン、足場、作業床、材木とともに、柱と屋根の正殿の一部と思われるものが、白木のまま、のそっと座っていた。以前の、一国の王府ならではの威風堂々とした、天をも朱色に染めようとするがごとき迫力を感じることはなく、謂わば、保育器に入った赤子のようで、少し心許なさげといったものだった、無垢の白木だからかな?まあ、それが見たままの腹蔵のない実感。
さて見学順路に沿って歩いていると、通路脇の合板でできた壁に白黒の大きな写真が飾られている。ん?どこかで見たぞと思いつつも、まあそのまま順路の中間あたりにあった休憩所に行って、さんぴん茶と沖縄菓子を頂いたのである。これはそもそも消失前、本殿に向かって左にあった「鎖之間」(さすのま)で行っていた有料サービスの代替のようだ。茶を啜りつつ、何気に目前の大きなテレビ画面を見ると、これまたどこかで見たような写真が何枚かスライドショーのように映し出されているではないか。
なんと「鎌倉芳太郎映像展」とな!

貰ったチラシ

2、首里城への坂道
私は以前、沖縄の近代史や太平洋戦争の傷痕に興味をもったことがあって、生来より夢中になりやすい性格だったから、一生懸命に本を読み、年に二度三度と沖縄に行っては「現地調査」の真似事を繰り返していた。
そんな中で、与那原恵「首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像」を読み、首里城、沖縄文化の保存継承という鎌倉の偉大な業績に触れた。
驚愕した私は、早速私の住む町にある県立図書館に出向いていき、鎌倉芳太郎「沖縄文化の遺宝」を、震えながら閲覧したものである。
因れば大正13年、取り壊しの寸前に鎌倉芳太郎と伊東忠太の奔走によって取り壊しを中止させ、その後沖縄県社(神社)の拝殿として再建保存されたとある。

老眼が進んで字が点にしか見えん!

思えば昭和10年に再建が終わって昭和20年に米軍により消失した首里城。それが1992年に正殿再建が完了し、2019年の10月に再び消失したという事実。それは、一時夢中になって沖縄文化を勉強した自分には、少しやるせない気持ちになるとともに、鎌倉芳太郎らが保存再建に奔走した情熱と言ったものが、いかに無尽蔵の価値を持っているかが、目前で自明となってくる。
首里城公園をあとにしながら、私は、鎌倉や伊東が沖縄神社の拝殿として保存再建した、戦前の黒塗りの威厳ある首里城を、なんとかこの目で見てみたいな、などと夢想したのである。

3、補記
え?県立博物館おきみゅーでやってたの? 知らんかった(T_T)

4、見出し画像
私たち夫婦が投宿したホテルの窓から俯瞰した、国際通り裏の市場街。アーケードの屋根が幾筋もうねるように這っていて、それば言うなれば巨大な蛇が街のなかで、人間たちを食いながらうごめいているかのような、おどろおどろしい絵図となっていたのである。

5、余談
新公設市場の2階にいくつかある食堂のひとつで夕飯を食べたのだが、そこには可愛い女の子が働いていた。can you speak English ? yes ! where did you come  from ? Nepal ! you are beautiful ! oh, thank you. それだけだったけど、ほっそりとした身体にパンと張った巨乳を持った、小さなお顔の可愛い子だった。
まさに眼福!帰りにはニコニコ手を振ってくれたのね。巨乳ちゃん、大好き!!