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人はみなビョーキ

「残便」が気になって今すぐ腸のなかのものを全部出したいという強迫観念に悩まされた時期があって、さいわいいまそれはないけど代わりに他人の出す音(とりわけ喉由来の音)が気になっていささかノイローゼ気味になることも少なくない。図書館で読んでいるときなどはさして気にならないのだけど自室にいるあいだは気が付けば音に対して身構えている。たぶんそれは私が自室に「唯一のやすらぎ空間であること」を求めているからであり、そこに「純度100パーセントの静寂」を求めているからだろう。「不合理」なのはある程度「自覚」している。どのようにこれが「不愉快」なのかいずれもっと頑張って言葉にしないといかんと思う。さしあたり「侵害感覚」という言い表したいと思う。あるいは「侵入感覚」。隣の部屋に住んでいる人間がしじゅう自分を監視していて、咳払いやくしゃみで嫌がらせをしている。ストーキングされているような気になる。むろん「そんなはずはない」のですが、脳がいの一番に「やめろ」と反応してしまうのを「理性的」に抑止することが出来ない。「殺意」を伴う強力な嫌悪感を鎮めることが出来ない。どうにかならないものだろうかと日々を生きております。

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