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やっていませんか?「自分は悪くない!」

先日、とあることが原因で親子喧嘩(家内と娘)になりました。

ある晩の事です。

原因を作ったのは中3の娘の方なので、家内に向かって「ごめんなさい」と何回か謝っていましたが、家内の怒りは冷めず、翌朝に持ち越したようでした。

一晩経ち、怒りは冷めないながらも和解の方向へ話を進めようかと考えていた家内の気持ちを逆なでするかのような内容の謝罪文をを娘が書いていたため、冷めかけていた家内の怒りに再び灯がともり、喧嘩へと発展した流れでした。

事が起き始めた晩、私は寝ていたので、「何かもめてるぞ」と思いながらも翌朝の仕事が早いため、そのまま寝ていました。

家族が寝ている時間にはすでに仕事へ出かけるので、その後の展開は気になっていたところでした。

仕事を終え、帰る連絡をすると、「自分の分のご飯を買ってきて。家族分はいりません」とメッセージが。

「まだ喧嘩は終わっていない」と分かった私は、早く帰宅して双方の話を聞いて何とか収束させようと考えていました。

帰宅すると、テーブルに家内と娘が座って冷静に話をしていたので、全体の様子を把握するためにしばらく話を聞き、娘が神経を逆なでしてきた内容の謝罪文を読ませてもらったところで、家内がここまで怒る原因と娘の謝罪内容が伝わらない原因が理解できたのです。

誰でもそうですが、喧嘩になる時は必ず双方が「自分が正しい」と思っています。

今回、第三者の目線で見ていた私の分析では原因を作ったのは娘。

なので娘は謝りましたが、謝っている最中にも心の中は「私は悪くない。これくらいの事で怒らなくてもいいでしょ」「むしろ怒りすぎるお母さんが悪い」となっているのです。

それが第三者の私から見ても、態度や謝罪文に顕著に現れていたのではっきりとわかりました。

人生デザインでこの現状を分析すると、相手は自分の鏡なのです。

娘の「自分は悪くない、お母さんが悪い」の考えはそっくりけんか相手の家内へ映し出され、家内も「私は悪くない、娘が悪い、わからせてやる!!」

となるのです。

私は第三者として伝えるね!と前置きをして、「謝りながらも自分は悪くない、こんなことで怒るお母さんが悪い。そう心では思っているでしょ?」と娘に聞いたら案の定、コクリとうなずきました。

「こんなことで」と思う気持ちは分からなくはないけど、人の価値観はそれぞれで、「こんなこと」と思うのは君の価値観で、お母さんにとっては「こんなこと」ではないから怒る原因になったのではないの?

そう考えた時にまだ「こんなことで」って思う?

その「自分は悪くない」の気持ちで謝るから理解してもらえないのでは?

と説明したところ、娘は理解ができたようで、家内からも「今後同じことでもめないようにこうしよう!」と案が出てきて無事に和解が成立したのでした。

今回の教訓:「自分は悪くない」は相手も同様に考える。

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