武道館
6年前から大好きでずっと応援している「美波」というアーティストが、来年の3月30日に「武道館」での公演を発表した。夜勤の合間でタバコを吸っていたら、ポケットの中の携帯がtwitterの通知で響き、そこで知ったという訳で、今に至る。
とんでもない場所へ彼女は行こうとしていて、はなからもともと遠い場所にいた上に、さらに遠くへ行ってしまうんだなと改めて思う。
この6年の間に「美波」というアーティストを通じて知り合えた人間(=以降美波リスナーと記す)が山のように居て、彼らと恥ずかしい思い出も、嫌な思い出も、楽しかった思い出も共有してきた。思い出せばいくらでも酒が飲める、それぐらい僕にとっての居場所でもあった。かつての居場所というものは、容易に心を癒したり、病める事が出来る存在になり得る。
2017年、2月。高校を卒業してから就職した会社が超がつくほどの社畜魂に溢れていて、朝6時半出社、退社1時。火曜日しか休みが無く、死んだ魚のような目をして毎日を生きていた。夜、twitterを眺めていたらタイムラインに流れてきた動画に目を奪われた。
その動画で歌っていた彼女こそが美波だった。
話が少し逸れますが、先日、村田沙耶香さんの「しろいろの街の、その骨の体温の」を読んでいた時に、心臓を手で掴まれるような表現があった事を思い出した。
学生時代のヒエラルキー、小さな世界が当たり前の世界だった頃の話。第二次性徴、妬み、必要のないプライド、斜に構えて物事を見る事。恋が恋だと理解出来ない、名前のつけられない心模様。
この小説の主人公は女の子だけれど、学生時代の自分に当てはめた時、それは大きな痛みを伴うことで理解が出来る世界に没入する。
私はタイムラインに流れてきた美波の動画を一目見て聴いた瞬間から、心を奪われていた。それは初恋に似たような感情で、彼女の声にも音楽にも詞にも全てに魅了された。調べれば同い年だった、愛にも恋にも変換出来ない感情にどっぷりと浸かっていた。それから深夜にツイキャスをしている事を知り、コメントをしては読んでもらえるだけで嬉しい感覚を知る。
「いつか武道館で歌ってね、待ってます。」
コメントした事を鮮明に覚えている。夜中にタバコを吸いに玄関を開け、ベンチに座りながら打ち込んだ。彼女は、
「絶対に連れて行きたい、その時まで皆んな私のことを忘れないでね。」
コメントをすれば、それに呼応して返してくれる。その小さなエピソードが僕の中で宗教になった瞬間で、初恋の時のような心が化け物に変わっていく最初の瞬間でもあった。
ここで彼女に感化され、僕はカメラをはじめとし、自己表現の世界に足を踏み入れることになる。
渋谷eggmanでの1stワンマン。初めて訪れた東京。大都会の中で行き交う人々、自動車の往来、濁り澱んだ空気の味。全てが初めての感覚ばかりで、奈良の田舎で生まれ育った自分が未成熟だと思い知った瞬間だった。
生きた美波に会う事は、当時の僕にとって生きていく目標だった。当時、僕は20歳になったばかりの若者で、どこが自分の居場所なのかを見つけられず、右往左往しながら生きていたし、周りに流されながら、自分の意思と反するように生きていた。そういった不安を掻き消すように、ギターをかき鳴らす彼女を見た瞬間全身が強張り、強く歯を噛み合わせていた。客席側で見るのではなく、僕もそちら側に行きたい、と初めて祈った瞬間でもあった。
それから、明くる2ndワンマンでメジャーデビューを発表。客席で、人生で初めてこれほどかという程に泣いた。心の底から嬉しかった。誰かの嬉しい出来事を、皆と共有して心の底から喜べる事が本当に幸せなのだと気付いた。
それから長い間、ツアーが行われては足を運んだ。それらに付随するように、美波リスナーとの繋がりも増えた。未成熟な僕を大事にしてくれていたし、僕も未成熟な彼らを大事にしていた。その中で恋をしては終わったりを繰り返した。誰かに裏切られたり、自分がまた誰かを裏切ったり、傷つけては傷つけられたり、様々な人間関係を得た。思い通りにならないことばかりだった、そもそも思い通りにならないという事自体甚だしいことにも気づいた。
それから数々の人間関係は少しづつ悪化していくことになる。触れる人間の数は、関係性に亀裂が生じると一気に増えていく。誰が真の信頼出来る人間かの見分けが付かなくなった。それでも、いつ崩れてもよかった状態を繋ぎ止めてくれたのは、美波の音楽があったからだ。切っても切れない人間同士の縁を切りきれないのは、美波がそこに居て、冷酷で毅然とした態度で居たとしても、切る事が最後まで出来なかった。それでも、それでも、僕は心の底では彼らの事を憎めずにいて、リスナーを心から愛してるのだとも気付く。
昨年の暮れから、京都に引っ越した。目的は、自堕落な私生活と精神面の改善、都会の中で生きていく術を得る為、そして今行なっている好きな事たちを仕事にしていく為。総じて「自分が変わる為」に京都にやってきた。社会の枠からぎりぎりはみ出ない思想と生活、生きていく事は自分と向き合う事。あらゆる環境下でも生きれるように、順応出来る術を得る事。美波のように生きる為には、普通に生きていたら得る事が出来ないような事を経験する必要がある。堅苦しく考えているような気もするけれど、僕は、美波と同じ世界で生きて、同じ目線で見て生きたいのだ。
それはあまりに狂気的で、あまりに楽観的すぎるとは感じる。でも、エッセイ中盤に書いた通り、僕にとって美波は宗教に変わっていて、それから化け物に変わりつつあるのだから仕方がないことでしょう?
美波のことを愛してやまないと思っているのは自分だけだと心酔している隙に、僕はいつあちらの世界で生きる事が出来るのかを模索している訳であります。出会った瞬間から狂気的な愛は始まっているのですから。
あの日から6年の月日が流れ、そして今日、彼女が武道館での公演を報告した。6年の長い間、忘れずに、美波の音楽と共に生きてきた。6年越しの夢が、来年の春、叶おうとしている。その夢の中で僕も生きる事が出来るように、今出来る事を精一杯にこなしていく必要がある。武道館で、彼女の音楽を聴けるまで、僕は精一杯に生きる。
追記
武道館の正面玄関に、でっかいフラスタを、佐野夜名義で飾る事が今の生きる目標のひとつです。
さらに追記(4/9)
武道館の正面玄関にフラスタを飾ることが出来ました。目標達成です!
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