見出し画像

1ヶ月記録 2023年5月


5月のまとめ

5/21
月末は必ず更新できている(とここでは言っておく)が、常日頃からパソコンで文字を打つ事も減ってしまった。何故だか、全ての物事に対して興味を失っている。それに自覚しているのにも関わらず、それによってあらゆる感覚が麻痺している気もしている。
もはや麻痺していることにも本当は気づいていないのかもしれない。

5/27
何故こうなったしまったのか、に対する「何故」を考える。それから自分の中で原因が見つかる。原因を追求して、対策する。その繰り返し。
自分の中で決定的にこれは良くない事案が発覚したのである。それが、
過去に固執しすぎている」ということだった。

どれだけ汚れた過去の記憶だったとしても、時間が経てばそれが美化され良い思い出にいつのまにか切り替わったりする。もちろんあなたもそういったことはあるだろうが、その対象が自分の中であまりにも多い。多いということはすなわち、その数だけ過去に固執しているということになる。自分を変える為には今の自分と過去の自分を比べる、その「比べる」という行動自体が、過去を顧みる行為になるし、こうなりたい、ああなりたい、などの全ての行動の原理は、己の過去と対峙することになる。
全てにまとわりつくように、過去の自分(記憶)が引き出されるようになっている。それに気づいたと同時に、過去の自分は見れても、明日の自分を見れていないということにも気づく。

明日・未来の自分に対する投資を全く出来ていない。期待はしていても、まあ明日は明日の自分が考えるだろう、となってしまう。あまりにも酷い。
明日の自分が考えるだろう、という行動自体は悪くないと思うけど、その行動が習慣化されすぎるあまり逆に「今」を見れていないこと繋がる。

「今」の自分はこのままでいいのか。そんなわけがない。
SNSで発信している「佐野夜」がどう思われているかは知る由もない。更新頻度が落ちているし、そもそも佐野夜に興味すら失っているかもしれない。本当は寂しいことだけれど、俺のことを見てくれ!!という執着じみた精神もない。SNSに固執しすぎていた過去を思えば、今の方がよっぽど楽な気もする。でもその空いた心の隙間は何にも変えられず埋まらない。

5/28
土曜夜勤の間に昨日のエッセイを書いたけれど、夜勤が明けてからも考察していた。結局なんなのだろうと何度も自分に聞いたら、一つの答えが出た。
それが、「あまりにも受け身になりすぎていた」こと。

上記のエッセイとは多少矛盾してしまうが、自分がイキイキして生きていた時は、かなり自発的だった。誰々と会いたいから自分から連絡しよう、とか、好きなツイートが流れてきたら積極的にリプライを送っていたり、積極的に自分から行動を始めていた。自発的に自分がきっかけとなって人間関係も、その周りの繋がりも、場所を作っていた。自分のきっかけでなされた行動によって、周りの人間とそれに付随するさらに周囲の人間が楽しそうにしている空間が、あまりに幸せで愛していたことを鮮明に思い出した。

それがある日を境に自発的なマインドから、受け身なマインドへと移り変わっていった。そもそも、自発的に行動起こしていた場所は何故か関東が多かった。にも関わらず、関西で受け身になっていたところでそれは全く意味を成さなかった。なぜそれだけ関東の人間に執着していたのかはもう思い出せないが…。

コロナウイルスの蔓延によって長期遠征ができなくなった環境で、さらにそのマインドは自分の中で完全に定着していった。ある種、絶望や諦念に近い感情を感じていた。

それからはひとりになることが多くなる。当時それは酷く寂しいことだと感じていたけれど、今になったらそれは意味のある「ひとり」だったなと思うことが出来ている。ひとりになることによって見えた、得ることができた事も沢山ある。それを財産と思えるか思えないかで今後さらに変わるだろうが、今なら理解できる。

自分自身を見つめることができた。足りないもの、というよりも元々備わっていたものを使う機会がなかっただけだったのかもしれない。下を向きすぎて、本来目の前に広がっている景色を全く見れていなかった。
「ひとり」でいる時間すらも自分のご機嫌をとれなかった。なんなら今もたまにそうなるが(過去に比べてかなり減ったけれど)、誰かといることで元気が出る、2、3人でいる時の自分が好き、というのは他人に自分を任せすぎている、それが受け身になりすぎているのだ。

自分の機嫌が良ければ、人に会うことも楽しくなる。機嫌がいいと外に出ていきたくなる。機嫌がいいと好きな服を買いに行きたくなる。機嫌がいいと自分のことを好きになれる。
常にある一定の機嫌を保てるようになるには、ひとり時間で自分のことを知ることが必要になるから、ひとりで居続けていたことは悪いことではない、と言いきかせている。

かつてはそうではなかったのに、人に会うことが怖くなっていた。ではその「かつて」の時代と「今」は何が違うのか。それは6月の自分が何なのかを教えてくれるはず。
明日に期待して生きれるようになったよ、かつての佐野よ。人生一生勉強〜〜〜!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?