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音楽に触れる

幾重にも重なる波がゆらゆらと流れ、溶けていくように身体の奥深くまで浸透していく。凪いでゆくような波に、荒く激しい波、震える足をさらに震わせる振動の波、毛先まで震え立つ空気の波。マイクからいくつものインターフェースを経て、スピーカーから音の波が出ていく。それら全てが美しい波となり、全身を経由して心へと流れ落ちていく。
私はそれを、「音楽に触れる」という。



* はやく30歳になりたい、と願う藍谷凪さんのエッセイを読んだ。それを受けて、私は自問自答を繰り返す。怖い事不安な事は山程あって仕方がないけれど、過去に比べて心も思考も価値観も良い方向へ進んでいる。結局怖くて不安な事にはいつか相対して向かわなきゃいけない、それなら今のうちに対抗できる術を持つべきであるという事も今なら理解できる。明るくて輝いていたあの頃に戻りたい、という感情は無くなってしまった。かといって今置かれている状況に満足している訳でもない。今のまま、あの頃のような軽いフットワークを得られるのなら、自分を認められるかもしれない。
つまり、未来に期待して、今を生きるしかない。現状に満足出来ないのなら、環境ごと変えてしまえばいい。それが大事な何かを捨てることであったとしても。

そして、あの頃に戻りたいと思わなくなるくらい、気持ちや価値観や環境を良い方へ進められる力を、私が持っていることを、認めることができる。

はやく30歳になりたい

自分の直すべきところと向き合うことも、聡明さを探すことも、好きだし、癖だし、私の良さでもあるけれど、本当はもっと、何も考えずにそのまま生きていたい。

はやく30歳になりたい


グランドピアノひとつで存在を証明する彼女の音楽は清く聡明で、透明であった。ピアノ弦が揺らす音が優しい波に変わる。それが悲しい波に変化したり、愛の波だったりする。その様々な要素を含んだ透明で澄んだ水の上に身を任せてゆらゆらと浮かぶ。彼女の音楽に触れる事が、私は好きだ。彼女が30歳の女性になりたいように、わたしも彼女のようになって生きたい。自分を認められるように生きたい。
このまま本当にあと3年くらい頑張ってほしい。


*
とても蒸していて暑い日だった。もう9月だというのに頭上からかんかんと降りてくる日差し。休日であったけれど、会社に立ち寄り野暮用を済ませ駅まで自転車を漕いだ。垂れてくる汗をTシャツが全て受け止める。受け止めた汗が風に触れ、それすらも乾かないうちにまた新しい汗が次から次へと滲み出ていく。縒れていく服を正しながら走っていると体勢を崩して転けそうになった。
自転車を駐輪場に停めて駅まで歩く。駅のホームには制服を着た学生が群れを成して談笑していた。電車に乗り込み空いている席に座る。冷房の効いた涼しい車内、Tシャツの隙間を駆け巡る空気がさらさらしていた。
息苦しかったマスクの中で小さく口を開け、呼吸を逃がした。

大都会の真ん中にそびえ立つ大阪城、それを囲う大規模な堀。そびえ立つ青々とした並木道を歩いていくと、大きな広場がある。そこからさらに奥へ進むと「大阪城野外音楽堂」がある、ここで音楽に触れる。
古い友人たちとは会わないつもりでいた。心が安定していないというのと、そこで押し込むようにして精神を切り詰めに行くよりも楽だと考えていた。
人と会う、というのは今はまだ出来ない。

開演して間も無く鳥肌が止まらなかった。
空中に音が舞い、空気が震えていた。それはあまりにも美しく、見惚れていたその時、波が見えた。ああ、そうかと思った。

数日前、凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」を読んだ。漫画の原作を描いていた櫂(かい)と作画を描いていた尚人。櫂が尚人にもう一度漫画をやろうと誘うシーンを思い出した。

「上手い下手やあらへん。漫画は、物語を作るんは———」
一旦止まって考える。痛む腹の奥の奥。
俺という生き物の真芯あたりで考える。
魂やな。」


*
波の正体は「」だった。それは1つになったり、3つに重なったりした。波は燃えるように空へ消え、それからすぐ新しい命が生まれ、空気を震わせる波になる。幾度も生まれ、幾重にも重なる。ゆらゆらと流れ、溶けていくように体の奥深くまで浸透していく。凪いでゆく波に姿を変え、静寂の中に優しさや愛があったり、荒く激しい波に姿を変え、憤りと悲しみで熱を帯びたりする。大きな波となって地を震わせる波、毛先まで震えたつ空気の波。全てが「魂」だった。

物語を作るのも、音楽を作るのにも共通するものは「魂」だった。櫂が言っていた言葉が、こんなところで実感に変わるなんて思ってもみなかった。
0から1を生み出すのは難しい。生まれた1が2となり10となり、大きく大きくなってそれが波になる。

’’音楽に触れる’’というのは、スピーカーから生まれる作り手の「魂」で出来た音の波を指先から手のひらを通じて触れ、そこから全身に行き渡り体の真芯に溶けてゆくこと。溶けていった「魂」は体の真芯では消えず残り、私の糧となり、生きる意思になる。その「魂」がまた次の「魂」を生む。

その時私は思った。
わたしの言葉に触れてほしい、わたしの写真に触れてほしい。そこから感じた魂を感じてほしい。幾度となく消去してきたエッセイに写真。破壊と創造を繰り返してここまできた。大きな波になって、多くの人に伝えたい事がある。この価値観を見せつけてやりたい。何度も読んで、何度も噛んで、その奥の奥にある味を味わってほしい。きっと美味く出来ているから。
もっと、もっと、経験したい。こんなものじゃ足りない。


指先を空に向け、音楽と一緒に跳ねる。
波に溺れてしまわないように、忘れてしまわないように。
西の空を見上げると一番輝いてる星が見えた。宵の明星、夕星だった。


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