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つらかったことはネタに変える

どうも、数年前に比べて随分と人間らしい生活ができるようになった足軽佐野です。

今回は、過去に経験した極貧生活の一部を公開しようと思います。
今となっては笑い話ですが、当時は冗談抜きで辛かったです。
それこそ活動を辞めてしまおうか本気で悩んだくらいです。

結局辞めなかったので今の自分がいるわけですから、続けることを選択して良かったと思っています。

究極の節約術

苦い思い出だったり、うまくいかなかった経験は、みなさんにも一度や二度はあるのではないでしょうか。
もちろん僕にもあります。

当時は苦しくて辛くて、とても人に話せるようなことでは無かったのですが、ある程度時間が経ち、自分の中で決着が付いたなぁと思ったりすると、笑い話として人に話したりしています。
そうすると、その時まで自分の中でマイナスだったものが、案外プラスになったりするので、気持ち的にもすごく楽になるんです。

数年前に極貧生活をしていた時期があるのですが、それは一般の生活水準を大きく下回るような暮らしをしていました。

当時は今と同じく正社員として働いていたのですが、射撃用の火縄銃が欲しくて、お金が必要でした。
ただ、お金は必要だったのですが、活動時間を確保するために残業はしたくないという、支離滅裂なわがままな性格を拗らせていまして、そんな状況で、どのようにお金を貯めていくかというと、支出を抑えるしか手段がありませんでした。

そのためにしていたことといえば、知り合いのツテで、管理会社を通さずに、直接オーナーさんから家を借りたり。
(敷金、礼金、家賃は通常通り払いますが、仲介手数料がかかっていない分、初期費用が若干安い。)
あとは、とにかく出費を減らしたいという考えで、家具家財をほぼ持たなかったり。
唯一持っていたのが、洗濯機。
冷蔵庫もなければテレビもない、エアコンもない、電子レンジ、炊飯器もない、そんな状態でした。
コンロはガス代がかかってしまうので、使っていませんでした。

食事は、会社に食堂があったのでそこで済ませていました。
ありがたいことに、食堂は朝も昼も夜もやっていたので、三食食べようと思えば、食べることができました。でも実際には節約のため、一番安く食べることのできる朝食しか食べていませんでした。
夜は気休めにプロテインを飲んでいました。水マシマシで。笑

そんな節約生活をしてみて驚いた発見は、電気代の安さです。
なにしろ家電が洗濯機しかないので電気代が安いんです。

一ヵ月の請求金額が千円に満たないので、請求が二ヵ月に一回にまとめられていました。
もともと水道代も二ヵ月に一回しか払わないし、ガスもほぼ使っていないので、水道光熱費は、多くても五千円程しかかかりませんでした。

ただ、エアコンなどが無いことで電気代を抑えられる代償として、
冬の室内がとてつもなく寒いんです。

僕が住んでいる地域が割と標高が高い所なので、冬は室内でも吐く息が白くなっていました。
あまりにも寒くて、家の中なのにアウターを着て過ごしていました。

今だから笑って話せますが、当時は死活問題で、いろいろ着込んで寝ていました。
股引を履いて、ジャージも着て、それで朝起きれたら一安心、今日も無事に起きることができて良かった。
そういう感じでした。

念のため、会社の仲のいい先輩には、無断欠勤するようなことがあったら万が一の時なので、家に来てくださいと伝えていました。
幸いなことに無断欠勤することはありませんでした。

出費を計算する

僕の暮らしている地域は車社会なので、車がないと生活が不便です。
それに加えて僕の活動は長距離移動が多かったので車は必要不可欠でした。
なので主な出費は、車のローンと家賃と光熱費、携帯代でした。
あと、当時も活動をしていたので、各地へおもてなしに行ったり、鉄砲の演武に行く時の交通費が掛かっていました。
交通費とお昼代入れて、月に五、六万かかっていたんですよ。
それが全て自費だったので、とてつもなくお金のかかる趣味みたいな感じですね。
その上でさらに新しい鉄砲が欲しいという理由で、貯金をするとなると、その厳しい生活をしながら、さらに節約する必要がありました。

生活水準をギリギリまで落とし、さらに食事を削っての生活はあまりにも辛くて、当時の僕は誰かに話すこともできなかったし、正直なことを言うと自分が好きでやっていることなのに、辛すぎて泣いた時もありました。

シャワー氷柱事件

その泣いた時というのが、「シャワー氷柱事件」です。
寒い地域に住んでいる方は分かると思うのですが、夜間に水道管が凍ってしまうのです。
対策としては夜間、少しだけ蛇口をひねって、少量の水が流れたままになるようにしておくと、翌日の朝、普通に使えるというライフハックがあるのですが、当時は何を思ったのか、この夜間出しっぱなしにしている水道代さえももったいないとケチってしまい、水の出し方を甘くしてしまいました。
結果、朝起きたらシャワーに立派なつららがぶら下がっていました。

僕は冬でも寝汗と寝ぐせが酷くて、朝必ずシャワーを浴びていたのですが、つららができてしまってシャワーを浴びることができない!会社にいけない!どうしよう!と慌てました。
しかし幸いなことに、台所の水道は凍っていませんでした。
お湯も出ました。
仕方がないので台所で全裸になって、頭を洗ったり、タオルを絞って体を拭きました。
真冬に全裸で台所です。シャワーを常に浴びているわけではないのでとても寒かったです。蛇口から出ているお湯に当たっている部分は温かいのですが、そこ以外はそれはもうとてつもなく寒かったです。

頭を洗いながらふと、今までの生活を振り返りました。
僕の実家は裕福でもなければ貧乏でもなく、ありがたいことに不自由を感じることなく暮らしていました。
ですが、この時は自分の身に起きている状況が全く理解できなかったのです。

当時から鎧を着て人前に立ってお客さん達とお話をするなど、日本文化や歴史の楽しさを伝えていきたいという思いで活動をしていましたが、ここまで身を削って、こんなに大変な思いをして、何の意味があるんだろう。とその時は思ってしまいました。
好きだからやっていたはずなのに、不覚です。

特に当時は今のようにオンライン上での交流なんてほぼありませんでしたので、余計に孤独を感じていました。

イベントで会ったお客さんに「かっこいいですね」とか「歴史とか好きなんです」と声をかけてもらう以外は外部からの評価がほぼ全くない状態だったので、今より精神衛生状態がかなり悪くて、、、。
当時からTwitterをやっていればリアルタイムのネタだったんですけど、その頭が全くなかったんですよね。本当に辛くて、余裕がありませんでした。
なんでこんなに大変な思いをしているんだろう、全裸で台所で頭を洗うような、こんな生活をしてまで、自分がこの活動をやることに何の意味があるんだろうと、当時は活動を続けていくか本気で迷いました。
でも、ここで辞めたら今までの活動の意味がなくなってしまいますし、伝え手がいなくなってしまうかもしれないと思い留まりました。

そのような生活を続け、一年程経った頃、目的の銃を手に入れて晴れて射撃競技を始めることができました。
その後、僕の活動を知った地元のコミュニティラジオに出演させてもらったり、新聞に取り上げてもらったり、最近ではテレビも何件か出演させてもらったりなど、インターネットを通していろいろな人に知ってもらうことができました。
あの時辞めなかったから今があるんだなと思っています。

そして今では当時の話はネタとして時々話しています。

話すようになって思うことは、
「辛い過去だった」と自分の中で止めたままにしてしまうと、それはいつまでたっても自分の中で辛い過去、大変だった過去でしかないのですが、ネタとして誰かに話せば、自分の中でマイナスだったそれが逆にプラスに変わるのかなあと思っていて、今では辛かった過去の出来事は笑い話に変えるようにしています。
話し方にもよりますが、「全然ヘッチャラでした!」という感じだと、相手も笑って聞いてくれます。
むしろ人に話をすることで自分自身も楽になったりすることもあるので、辛いことがあったら自分の中にずっと溜めておかないで、積極的に外に出していったらいいのではないでしょうか。
もしかしたら同じような経験をしてる人もいるかもしれませんし、それがきっかけで仲良くなれるかもしれません。

もし全裸で台所で髪の毛を洗ったことがあるよ!という人がいたら教えてください。
その人とは仲良くなれそうな気がしています。


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