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エモーショナルな仕掛け:「遅れたおめでとうを花で。」

「Okule'te gommen」
フランス語かな……『遅れてごめん』か。
なにがごめんなんだろう。この人はどうしたんだろう。

「遅れたおめでとうを花で。」

素敵なコピーを見つけました。
たとえば友達の誕生日に翌日気づく申し訳なさ。たとえばSNSで見かけるだけになってしまった知人の祝い事を風の便りに聞く仄かな喜び。それに、たとえばもう会うことの叶わない誰か。そんな奥行きのあるコピーです。

単に「おめでとうを花で」でも進学、就職、結婚などを迎えた幸せな人々の様子が思い浮かびます。ですが自分にとって、それはしょせんは他人ごと。他人の考えや思いは、自分のものほどよくは分かりません。

一方、このコピーには、花を買うことを我がごとに思わせる仕掛けがあります。それが「遅れた」です。このたった3文字があるだけで、言葉の焦点は「花を贈られる誰か」から「(時季に)遅れた私」へと移ります。

そうすると、私たちは誰かの幸せよりも、花を贈る自分を強く意識することになります。友人の誕生日を祝いそびれた自分も、その一例です。その人の顔や話し方、一緒に出かけた場所の景色や天気。最後に会った日。こうした思い出は、自分の記憶であるだけ高い解像度をもっています。たとえ社会ではありふれた出来事でも、自分には唯一無二の価値のある思い出です。

「おめでとうを花で」にマイナスなイメージの「遅れた」を足したことで、このコピーを考えた方は視点の移動とギャップを生み出すことに成功しました。そうして視点を読み手へと移すことができれば、読み手は自分の思い出と照らし合わせて、言葉の奥に自ずと豊富なディテールを感じることでしょう。そういう優れた力のある言葉が、読み手に届かないわけがないのです。

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