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現在進行形不登校長男の中学受験について振り返ってみた。

おはこんばんにちは。母ちゃんです。
中学受験について、忘備録で書いてます。
よかったら見てもらえると嬉しいです。

2月の勝者って漫画がありますよね。
ドラマにもなって、当時観ていました。結構、中学受験をリアルに描いていたと思います。

ドラマのテーマ曲の「いつも、いつもありーがとねって言葉なんでそれがいえないんだろ~」って

長男がきっと思っている(と思いたい)と思い、心に刺さりまくってヘビロテして聴いていました。


前回の記事で、ざっくり中学受験の理由はお話したのですが、
我が家はもともと、有名私立中学に行かせたいというわけではなく、
不登校だったので環境を本人が変えたいといったことがきっかけでした。

小学3年生から四谷大塚の教材を使った近所の塾に通わせていましたが、家庭では全く宿題もしないしゲームばかりでした。

小学5年生になったころ、あまりにも勉強をしないというか、塾代が生活を逼迫する金額になり、母ちゃんもいい加減勉強しなよと小言を言いまくっていた頃、事件は起きました。

スイッチ、DS生ごみに捨てる事件。


5年生のある日、塾からも勉強を家庭でさせるように言われていたこともあり、全く勉強しない長男に「宿題をしなさい」と言って、

いつものようにしなかったことがありました。
母ちゃんブチ切れて、「もぉ~怒った!!!!ゲーム捨てる!!!!!」と言って、その日が生ごみの日だったのですが、ゴミ袋にそのままswitchとニンテンドーDSとスーパーファミコンミニ、ゲームソフト全て突っ込みました。
その場に、夫がいて心の中で(夫よ、こそっと回収して隠しておいておくれ)と念じていたのですが、夫は、私が余りにも切れていたので、これは本気だと思ったらしく、回収せずそのまま生ごみ回収されました。ほんとはプラごみに出さないといけないのにごめんなさい。

当時、長男は泣くこともなく、捨てられた事実を受け止めていました。
後日、志望校に合格した時に長男に聞くと、母ちゃんがまじで怖かったし、ゲーム無ければ、無くても別にタブレットあるしと言われました。

長男は中学1年生までサンタさんを信じていたので、ゲーム機は高いからサンタさんに貰うと言っていました。笑
無事、サンタさんから今の2代目switchをゲットしています。
2代目switchは今は通っている塾長が預かっているらしいです。自分で預けたと先日聞きました。預けても、結局タブレットで遊んでるからなぁ。

小学6年生夏から急激に成績が上がった。


6年生に入り、相変わらず勉強しないで不登校の長男でしたが、サピックスの教材で学習内容もかなり高度でさすがの長男も勉強しないと塾のクラスが落ちる可能性が出てきました。

当時全国難関私立中学コース(灘、開成、ラ・サール、久留米附設等)のクラスにいた長男ですが、精鋭クラスのできる子達とはかなり差がありました。

公立小学校の神童系2~3名、国立附属小のメンバー5~7名位の中に、不登校の長男がいました。

みんな、長男が不登校なのは知っていましたが、塾の中では仲良くじゃれあったり、時には喧嘩したりと小学校では味わえなかったお友達との関りを経験したのが進学塾でした。

6年生の1学期までは合否判定テストでラ・サールはD判定でしたが、夏休み中の特訓、合宿、特別合宿等親は学費を出すことで必死でしたが、長男も必死にカリキュラムに食らいついていました。

秋ごろの合否判定ではB判定まで上がることが出来て、不登校で内申点が不要の私立中学の試験に合格することが長男も一番望んでいたし私たち家族も県外に12歳で送り出さないといけないさみしさや教育ローンの借り入れの覚悟をしていた頃でした。

最初に受験したのは、12月頃県内NO1とNO2の私立中学でした。
結果は2校とも合格を頂き、とりあえず行けるところは確保したと安堵していましたが、本人はどうしても鹿児島のラ・サールに行きたい気持ちがあったので、モチベーションを下げないよう、模試や過去問の結果が悪くて落ち込む長男を励ますことが私の使命でした。

まさかの国立附属中学が落ちた理由。

3校目は地元の国立附属中学校でした。
ここは内部生が100名程度いるため、残り60名~70名程度の枠を外部生として受験をしています。
国立附属は通っている小学校からの調査書の提出が必須です。

長男は不登校であったため、学校からは調査書は書けないと言われてました。
実際は、書いてあるのですが中身は見ることは出来ないため、担任からは「小学校から国立附属中学を希望する生徒はたくさんいるのでその子達と同じようには書けない」と言われ、これは落ちるかもしれないと感じた瞬間でした。

実際の考査は本人的には簡単で、間違っているところが分からないとまでいうくらい自信があったのですが、結果は不合格でした。これは本人はかなり落ち込んでいました。なぜ、ダメだったのか。学校に行かないと入れてもらえないのか…。

ラ・サールがダメだったら、地元の私立中学かなぁ。そんな気持ちになったころ、新型インフルエンザが日本に上陸し、緊急事態宣言となったのです。

ラ・サール中学校受験は親の同伴なしで塾が引率して泊りで行くことに。


ホテルや飲食代金は塾持ちで5名程の生徒が受験することになりました。

子どもたちは修学旅行のテンションで楽しんでいったと試験が終わった後聞きました。
前日にコンビニでアイスを買って、相部屋のお友達と話をしたり、リラックスをした状態で翌日の試験を受けてきた長男。

「手ごたえは?」と聞くと

「わからん、でも出来なかったのはなかった」

前回の国立附属中学は簡単だったで内申点0で落ちているため、長男の手ごたえではよくわからないけれど、でも本人の表情をみると清々しくてこれでもう毎晩の塾の送迎もなくなるんだなぁと結果が出る前にホッとしたのを覚えています。

受かっていようが、そうでなかろうが、本人がやり切ったのが顔を見て分かったから。

数日後ネットで結果を確認したら、桜が咲いた画像とともに合格とい文字が見えて、勝手に涙が溢れました。

不登校でもいい。頑張ったのが報われたねって。


現在、長男は国立附属中学に在籍しています。
えっ?落ちたのに?って

そう、あの話には続きがあって

長男はラ・サール合格後辞退届を出したのですが、附属の内部生で附属中学を辞退したお子様がいたそうです。
そのため、次点の長男に合格連絡があり、本人と私立中学と選ばせて今があります。

中学入学時は休む日もありましたが、大体参加していたのですが、最近はしんどいのか学校を休み日が続いています。
しかし、学校の先生方は長男の特性を理解したうえで、受け入れてくださっており、母ちゃんは本当に感謝しています。

中学受験の話でした。また、思い出したら書くかもしれないです。





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