ブレる死生観(戯れ言)
「彷徨う」事と「迷子」は違う……
とぼんやりと考えている。
「迷子」には辿り着く目的地があって、其処へ向かっている。もしかしたら、さっきまで手を繋いでいた人も居たかもしれない。「はぐれる」と言う意味も含まれている…
「彷徨う」には、最初から目的地はない。行く宛もないまま、自分の意思で歩き回っている。
じゃあ、今の私は迷っているのか?彷徨っているのか?
目的地はない。
あぁ、でもあるとすれば、それは死だ。
川端康成は死んだ。
芥川龍之介は死んだ。
太宰治は死んだ。
三島由紀夫は死んだ。
この中では太宰治が一番好きだ。五回の自殺を繰り返し、最期に愛人の富栄と入水自殺をはかって、やっと目的を達成した。
女関係にだらしなく、不健康で稼ぎもない。流行作家になれたと思ったら自ら破滅していく…
世間からしたら、無類のダメ男の筈なのに、何故か魅力を感じてしまう。
そこには三島由紀夫のような政治への真念もなく、芥川龍之介のような研ぎ澄まされた感性もない。
ただ、だらしなく女に溺れ、結核の治療もせずに吐血を繰り返し狂っていく。
あぁ、この最たる狂気よ。
ポジティブなどと言う言葉は太宰の一生には、存在しない。川が流れるように、風が吹いたら柳の枝が揺れるように、自然に身を任せ堕ちていく。
高村光太郎のように一途に女を愛することもなく、宮沢賢治のようにサウイフモノ二 ワタシハナリタイなどとは決して言わない。
自然に身を任せていた筈なのに、そこだけは切り取られたかのように意思をもって行われた。
いや、それも流れに身を任せただけだったのか。
私は死ねないのなら、生きてみよう。
いつかは必ず辿り着くから。
彷徨って、彷徨って、彷徨った先に灯りが見えてくるかもしれない。今は彷徨っているだけだけど、そのうち迷っていることになるかもしれない。
アイスコーヒーの氷が溶けていく…