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「日記」独り言 11月6日忘れられない日


今から書き出して、今日に間に合うだろうか。

記念日や大切な日を覚えていない私が何故か、今日という日だけは何十年経っても忘れた事がない。

あれは中学一年生の終業式の日だった。
クラスで一番の暴れん坊で、だけど人気者だったSくんが終業式が終わると夏休み前の最後のクラス会を待たずに私に

「じゃあな」

笑顔で荷物をまとめて帰ろうとした。
学級委員だった私は 
「最後まで先生のお話し、聞かなきゃダメでしょ!」
彼を咎めた。

「悪い!俺さ、今から入院するんだよ、間に合わなくなっちゃうからさ」
「えっ?入院?どこが悪いの?」
「なぁ~に、風邪こじらせただけだって。新学期に会おうな」

あの笑顔が今日は朝から何度も鮮明に脳裏をよぎる。
生きているSくんに会ったのは、それが最期だった。
いや、嘘だ。
一度だけクラスを代表してお見舞いに行った事がある。でも、その記憶はない。
私の中のSくんは教室を笑って去って行った彼だ。

新学期を迎えても、私の前の席は空席のままだった。


11月6日

担任の先生が彼の死を告げた。
教室中が彼の死を悲しみ泣き声が廊下まで響き渡った。倒れる女生徒まで出る始末だった。
あの時、女生徒の中でたった一人私だけ泣けなかった。
普段、泣き虫なのに何故泣けなかったのかは分からない。
男子生徒は私を
「変な奴が一人いるぞ」
とからかった。


葬儀の日、私は全校生徒を代表して弔事を読む事になった。
打ち合わせの時、私は亡くなったSくんに初めて会った。彼はあの終業式の時よりも、ずっと背が伸びて大人びた顔で眠っていた。
大病をしたようにはとても見えなかった。彼のお母さんが白い布団をめくり
「見てやって、大きくなったでしょ」
真っ赤な目で気丈に見せてくれた。
「いっぱい遊んでくれてありがとうね」
「……」
その時になって初めて私は泣いた、号泣した。
恩師である国語の先生が
「弔事読める?」
心配して走りより抱きかかえるほど泣いた。
嗚咽を押し殺してSくんへの別れの言葉は読んだが、その記憶は殆どない。

私の記憶に残るSくんは
「じゃあな」
「新学期に会おうな」
笑った彼だけだ。



ホジキンリンパ腫
12歳だった彼を襲った病名だ。
今は治る病気なのだろうか。
小学生だった頃、一緒に「ダルマさんがころんだよ」したり「缶蹴り」した寺の墓に彼は眠っている。



雨が酷く降ってきた。
だから思い出したのかもしれない。







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